「お棺木浴」を体験して死生観へ氣づき

今、『大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ』(中村仁一、幻冬舎新書)という本が評判になっています。
 中村氏は、「自分の死」を頭の中であれこれ考えるよりも、具体的な行動を取ってみることを勧められ、15か条を挙げられました。その中の第7条にあたるのが、一番のお勧め、「棺桶を手に入れ、中に入ってみること」です。
 私も、それを素直に実行してみましたので、その体験談をお伝えします。
 まず、私が考える「死」とは、前にもお話したように、誕生で「(おぎゃ)あー」と産声をあげてから1日、1日、心と体の養生を重ね、最期のときは息を吸って、吸って、吸って、吐かないまま「ん」でそのときを迎えます。
 まさに「息を引き取る」わけですが、この「あうん」が「阿吽」、つまり密教で言うものごとの始まりと終わりのことわりを意味します。

 さて、「お棺木浴」の木材、杉は、むろん前項でご紹介した伊藤好則氏に製作をお願いしました。ちょうどタイミングよく当庵の感謝(患者)さんになられた島根県浜田市の建具屋・吉原重文氏に頼んで、超天然乾燥杉板の棺桶を作っていただきました。
 クギを1本も使わず、開き扉にちょうつがいのある棺桶です。「お棺木浴」を体験したのは、誕生日の5月15日でした。
 まず、私が妻に「生前は大変お世話になり、ありがとうございました。先に未来へ行きます」と神妙に挨拶してお棺に入りました。
 しかし、「さあ、死生観を醸そう!」としたのもつかの間、杉の香りにたちまち全身を包まれ、暖かくて、呼吸が深くなっていき、すぐに寝入ってしまいました。
 「お棺木浴」によって何が変わったのか。それはよくわかりませんが、今、私は、「あうん健康庵」前に流れる江の川の夕日を眺めながら、人生の夕日時に自分を重ね合わせています。
 今まで以上に、私たち夫婦でときめきながら、生かされて生きていることに想いを馳せ、人生の収穫期のことを考える日々になりました。

『祈りの力』
3章 P.94より