まったくの無傷、奇跡の「あじさい保育園」

 この日、ぜひ行きたかったのが「あじさい保育園」です。「木山神宮」のすぐ近くでした。

 株式会社シェルターからいただいた資料によると、まったく被害がなかったとあり、これまで見てきた状況からは信じられないものでした。周辺の大きな被害を受けた建物と同じ軟弱な地盤に建っているのですから。

 関係者に確認したいと思いつつも、お忙しい最中、アポを取ることのほうが失礼との思いもあり、突然伺いました。

 園の敷地の中で立ち話をされていた方に挨拶をして名刺交換をすると、その方は理事長の前田晴重氏でした。来訪の用件を告げること数秒、「事務所へどうぞ」と案内されました。

 椅子に座るなり、前田氏のひと言に驚きました。
 「板橋区は一族が前から住んでいるところです。大野というんです」
 耳を疑うひと言でした。「愛工房」を設置し、生産工場として使用している高島平の建物の大家さんが大野さんだからです。2011年の11月に、前に借りていた建物の大家さんから突然出て行くよう言われて探し求め、翌年の初めから借りた建物です。なんだか身震いがしました。

 話が盛り上がり、午前11時ごろに突然お伺いして、気がつくと午後1時30分を過ぎていました。それから、建物内外の写真を撮らせてもらい退出したのは午後2時近くになっていました。

 建物の内外観の破損、被害はまったくない。空調機の室外機はもとより、外部の配管も外れたものやずれたものがないのには驚きました。周辺の惨状からはまったく想像できない光景です。

 なにより一番よかったのは、園の子どもたちの笑顔でした。子どもたちから声をかけてくれます。子どもたちからハイタッチもしてくれました。子どもたちから幸せをいただきました。

 前田氏の話の中で、お母さん方から「この園に子どもがいる間は安心」と言われて頂けるそうです。こんな園が全国に何カ所あるでしょうか。

 周辺と同じ軟弱な地盤に、震度7が2回、6強が2回、6弱が3回、それでも何ともなかった、という「あじさい保育園」の真実と情報がまったく伝えられていません。

 熊本市内に住む妹や姪たち、友人たち、もっと近いところで16日に南阿蘇を案内していただく、南阿蘇村に住み熊本市内に事務所のある九州中央経理の山本友晴社長、もっともっと近いところで、今日案内してくださっている藤本氏───。みんな私からの情報で「あじさい保育園」のことを知ったのです。

 これが現在の日本の情報の姿なのです。

 驚いたことに、震災後、テレビ局も園への取材は何度か来ているとのこと。それなのに、理事長が建物のことを話そうとすると、今日はそのことで来たのではないと告げられたと言います。いびつな情報伝達といえましょう。

 震災の惨状を知らせることは絶対に必要でしょう。ただ、大震災にも耐えたこのような情報も今後のためには必要です。たとえ取り上げる相手が広告を出す可能性がなくとも真実は伝えていかないと、マスコミは公共の役目を果たしているとはいえなくなります。インターネット時代の今日、あらゆる情報が一人歩きして広がるようになりました。テレビや新聞が自己都合を優先する調整された情報に甘んじていれば、近い将来必ず国民にソッポを向かれる日が来るはずです。

『木造都市の夜明け』
第3部 P.161より