日本の人口は世界の約2%ながら、世界の木材の約3分の1を消費している。しかし、日本国土の3分の2を森林が占める森林大国でありながら、消費する木材の約70%は海外からの輸入材である。
「国産材の活用」は、以前から叫ばれながらも、複数の課題が入り組み、前進しづらい課題だったが、ここに来てようやく明るい兆しが見えてきた。
たまたま買った本で見つけた「日本の山林業の救世主」
伊藤さんを知ったのは半年くらい前である。たまたま購入した、自然治癒力を研究しているある医師の本の中で、「日本の山林業の救世主」として紹介されていたのが目に留まった。何でも、今までと全く違う木材の乾燥装置を開発し、木の良さを引き出した木材を生み出すことに成功した人だという。
今回の特集が決まった時点で、まずこの人に会ってみたいと思った。本誌の特集の趣旨と取材希望日をメールで送ると、すぐに電話をくれた。「頂いた日程は全て埋まっているのだけれど、何とか調整しましょう」と言ってくれた後、伊藤さんは日本の木々がなぜ活用できていないか、木には底知れぬ可能性があるということを熱弁してくれた。電話越しに聞くのはもったいない気がしたので、「是非、続きは当日に聞かせて下さい」と言って受話器を置いた。
取材日当日、指定された駅に着くと、車で迎えに来てくれた伊藤さんは、「まず実物を見てもらいます」と、「愛工房」と呼ばれる木材乾燥装置が置いてある工場に連れて行ってくれた。この「愛工房」の開発こそが、彼を「日本の山林業の救世主」とまで言わしめるゆえんである。
その乾燥装置は、全て国産材で作られており、見た目は小さめのサウナのようだった。装置の中を見せてもらったが、木の良い香りは漂っては来るものの、特に最新の技術が施されている様子もなく、至ってシンプルな作りだった。
この装置のどのあたりがすごいのだろうか?と思いながら、「これで乾燥させた木が二階にありますよ」と言われ案内された部屋で、乾燥処理を終えた木の板を見て驚いた。
表面は滑らかで全くひび割れがない。なおかつその色味は明るく、乾燥させたとは思えないほど艶々していて、温かみを帯びている。今までこんなに綺麗な木材を見たことはなかった。
理屈抜きで、「愛工房」による乾燥が、木の処理方法として間違いなく良いのだということだけは分かった。
日本の林業が廃れたのは効率を優先したため
伊藤さんは、28歳で電気工事会社を開業し、自らの会社の社員を全員非喫煙にするなど、タバコが人体や社会にもたらす悪影響について正面から取り組んだ。各地から講演に呼ばれる中で、何かに導かれるように、環境問題、特に日本の森林や林業が直面している問題に辿り着いたと言う。
「結論から言えば、人々の意識が『経済優先』から『命優先』に変われば、森林大国の可能性はいくらでも拓けてきます」と伊藤さん。
「戦後、日本人は何でも効率化を求め、人間に都合の良い木ばかりを作るようになりました。人間に都合の良い木とは、早く育ち、早く乾く木です。早く育てるために、実から植えずに、木の枝を切って、挿し木で育てるのです。すると、時間的には早く育ちますが、挿し木の場合、直根(土中深くへ伸びる根)が育たないので、倒れやすい木になります。
以前から、杉の山は土砂崩れが起きやすいと言われていて、私もそれが常識だと思っていましたが、それは大間違いでした。先祖たちは実(いのち)から苗を育て、植えていました。杉は土砂崩れを防ぐのに最適との文献を見て驚きました。実生の苗は土中へ根を伸ばしてから上へ伸びる、生命として当たり前のことです。杉を倒れやすい木にしていたのは人間なのです。
乾燥にしても、昔の日本人は木を乾燥させるのに10年も20年も掛けて自然乾燥で乾かしていました。しかし、近年は、効率を求めて100°C前後の高温で一気に乾燥させるのが当たり前になってしまいました。それでは、木本来の油成分や酵素が死んでしまい、木自体として死んでしまうのです」
つまり、伊藤さんは、木は切った後も死なずに生きていると言うのである。このことが、まず筆者には衝撃だった。
木を生き物だと考え木に聞きながらの製作
「生きた木材というのは、命の素である酵素をはじめ油成分などを損なわず呼吸をしています。木を生きたままで使えば、カビが生えることも、虫に食われることもありません。木の成分を殺してしまうから、カビが生え、虫が食うのです。それを防ぐためには消毒と称して、木に農薬という名の毒を塗らなければいけません。農薬漬けにされた木材で作られた家に住むことで健康を害した人を私は何人も見て来ました」
そこで、木を殺さずに乾燥させられる装置は作れないかと模索し始めた伊藤さんだが、木に関しては当然の素人。しかし、「それが良かった」と本人は言う。経済や効率優先の常識に捉われなかったからだ。
「木は生き物だと考えて、生き物が生存可能な温度で乾いて欲しいと思いました。そこで『木に聞きながら』探り当てた最適な温度が45°Cでした。後日45°Cという温度は、木の酵素を損なわない温度であること、さらに薬草の薬効を失わず変色させない乾燥温度も45°Cであったことを知り驚きました」
開発初期の段階で乾燥温度を当時の外気温度から50°Cまで試しましたが50°Cだと表面の色が濃くなり、「これは木が嫌がっている」と思い、辿り着いたのが45°Cだった。
また、除湿することで木を乾燥する装置であることも聞かされましたが、自分が汗を出すのは湿気のある環境です。木たちが気持ちよく汗(水)を出す環境が大切だったのです。
「私は今までも、周りが『こうするべき』と言う常識の逆のことをするとうまく行ってきました」
常識の逆を行って完成させた「愛工房」で乾燥させた木は、色、艶、香りを失わない、生きたままの木材として利用が可能になった。
「東大寺の大仏殿や法隆寺など、日本には1000年以上も昔に建てられた木造建築物がいくつも現存しています。それは十分に自然乾燥させたからです。
木は伐採され、製材され、建物や家具に使われてからも生き続けます。生きた木たちは200年300年の経過と共に強度が増します。呼吸し続けるからです。但し高温で乾燥された木、化学塗装、農(毒)薬等を使用された木にはその能力は期待できません。
ハウスメーカーは、自分達が作る家は良いですよと一所懸命に営業します。私は、愛工房の乾燥機も、その乾燥機で乾燥させた木も、一切営業しません。営業しなければ売れない商品を売りたくありません」
実際に、愛工房で乾燥させた木の良さを実感した人達から、その木を使って家を建てたいという申し出は後を絶たない。
個人宅や教育施設から届く感動の声の数々
茨城県のある方は、新しい家を作るために大手のハウスメーカーと契約を済ませた。しかし、その後、伊藤さんの書いた本を読んで愛工房を知り、そのハウスメーカーとの契約を、違約金を払って破棄し、愛工房の木材を使った家を建てた。「杉の優しい香りに癒され、まるで森林にいるような感じで深呼吸したくなります。素足で歩いても、温かみを感じるほど柔らかいです」と喜んでいるそうだ。
また、ある家庭では、設計に丸一年掛けるほど凝りに凝って木造の注文住宅を作ったが、新築から3年目に同居していた父親が倒れてしまった。リフォームの相談を受けて打合せに行った伊藤さんは、あまりの底冷えで体が冷えるのに驚いた。
せっかくの力作だった家だが、施主の「命のほうが大事です」との強い希望があり、愛工房の杉を使って全面リフォームを施した。今はとても満足して快適に過ごしている。
愛工房の木を使いたいという希望者の用途は、個人の家だけには留まらない。幼児教育に携わっている女性が、自らがオーナーとなる新しい教室を池袋に開講することになり、愛工房の木を使った教室を作った。
最初は、生徒が5名しか集まらなかったが、その後だんだんと生徒が集まり出して、2015年には100名に達し、「奇跡の杉教室」として注目を浴びた。
現在は、同じビルにもう一つの教室を増やし、生徒数は230名に達している(他の教室も合わせて500名)。今年の3月に鎌倉駅の近くに開設する教室は湘南地域に愛工房の杉を使った教室の第一号となります。教室を開講予定だという。
似た例で、英会話教室を新たに始めたいという方が、教室内の空気にこだわり、床から天井まで全て愛工房の杉を使った。杉の香りやぬくもりに包まれて、森林浴を体験しながら学んでほしいという希望だった。
木に囲まれた環境が、実際に勉強する場所に適しているのかどうかについては、2013年に九州大学が発表したデータが興味深い。
天然の国産杉の家と、合板など新建材の家とを比べた場合、天然の国産杉の家のほうが、疲れた脳が回復しやすく、体も活動的な状態になることが明らかになった。
すでに、山口県山口市の幼稚園では、長年使っていた園舎の近くに3千坪の敷地を得て、全て木材の20棟近い園舎が建ちます。使用する地元の木材は3千本を越えます。
マンションなどリフォームが難しいところでは、杉の板パネルが好評です。
杉の学術名は「日本の隠された財産」
「日本の森林を活かすには、末端(消費者)の需要が必要です。消費者が欲しいと思う家や家具を作ることが一番大事なのです。そのためには、木の良さを活かす乾燥技術がどうしても大事になって来るのです」と伊藤さん。
京都市のある街では、愛工房の乾燥技術を、地域おこしのモデルケースにしたいという計画も検討されている。木材乾燥事業を中心に、造作材・家具事業、育児事業(愛工房の木による託児所の建設や、木製品による木育展開など)、住環境改善事業(コンクリート住宅を愛工房の木を使った内装にリノベーションするなど)など、暮らしの中で連鎖的に事業を生み出して行くような構想だ。
そして、それらの事業には、定年退職者、老大工、若手デザイナー、母親世代など、幅広い年代の雇用の創出が可能になる。
「杉の学術名は『クリプトメリアジャポニカ』と言います。意味は『日本の隠された財産』です。よくその名前を付けたものだなと感心しますが、まさしく杉は日本の財産です」
日本に植えられている木の中で一番多いのが杉だ。木の命を優先に考えることで、まさしく森林大国の可能性は底知れぬほど拓けて行くだろう。
「人間は、地球上で一番能力を持っているのは人間だと考えるでしょう。知能は確かに人間が一番かもしれませんが、生命力に関しては、人間は木の足元にも及びません。
木は人間がいなくても生きられますが、人間は木がなくては生きていけません。これからの時代は木の立場に立ち、木の素晴らしさを知り、木と共存して行くことです」
取材を終えて、伊藤さんが「日本の山林業の救世主」と称されるのは伊達ではなかったと感じた。
(取材・文 水島恵山)