杉の木に恥じない生き方を

 6月25日、1年半ほど前から続いていた裁判の判決が出ました。

 被告は原告が要求する全額を支払えとの判決です。私は当然のことと受け止めました。

 原告の有限会社田中製材工業は、被告の日本強靭化木材株式会社より大型施設の内外装木材を約1千万円で受注する。全ての納品が終わっているのに入金は百数十万円、8百万円以上が未収状態。残金の支払いを再三要求するが払ってくれない、そこで訴えた。

 原告は、納入先の現場責任者から、被告との契約額は全額支払い済みであること、追加の代金も支払う予定であることを文書でいただいている。

 それにも拘わらず、支払わない理由を被告が法廷で述べる、その理不尽な理由に驚いて、つい、「これでは物を作る人がいなくなる」とつぶやいた。つぶやいた声が大きかったのか裁判官から注意を受けた私。2月19日東京地裁で裁判を傍聴した際の出来事です。

 被告は今回の訴訟問題に関して、弁護士に依頼せず本人が対処しています。これは、本人訴訟の場合、法律的に整理されていない意味不明の主張をして、裁判を混乱させ、長引かせるためではないかと推測されます。また、弁護士に依頼すると、裁判が長引けば弁護士費用が嵩むと考えたからではないかと思います

 私は、16歳の時、32歳のマチヤさんのひと言で人生が変わりました。「君には若さという財産がある、私が君ほど若かったら、大阪で丁稚修行して、その経験を東京で活かす」このひと言で帰りの汽車賃もない身で熊本を飛出しました。偶然の積み重ねで幸いにも靴下問屋の丁稚になり、老社長から教わる事の毎日でした。2年目に仕入れの担当になった際には、「靴下を作る人たちがいるから商いができる、仕入れてやるというのでなく、靴下を売らせてもらう気持ちを持つように」と教わりました。休日を利用して数か所の工場を見学しました。夏の暑い頃、下着姿に近い格好で汗まみれになって働いている女工さんたちには頭が下がりました。クーラーのない時代です。この時の感謝の気持ちは私の財産です。

 私は現在の仕事では「もの」を仕入れたら直ぐに支払うことにしています。状況によっては先方の出荷前に支払うこともあります、扱っている「もの」たちは、すでに数10年も風雨に耐えて育った命です。山に早くお金を返すことは当然のことです。

 このことは、お客様にも説明し、協力していただいています。

 被告会社の代表者は伊藤隼夫氏です。同姓の彼との縁は2003年6月、豊橋のマルナカ

 ウッド会長(当時)中野武治氏の紹介でした。2005年1月に袂を分かつまでの経緯は2012年5月発刊の拙著「樹と人に無駄な年輪はなかった」の中に詳しく書きました。

 被告が幾度も使う「基本合意書」と言う言葉、思い起こすのは2005年1月13日に東京ドームで被告の隼夫氏との話し合いの場で提示された、低コスト木材乾燥室の「基本合意書」。「これにハンをつくことは貴方の為だから、貴方が楽になる」と言われました。が、よく読むと私の為になる事は全く書いてありません。その後の対応は弁護士にお任せしました。この日から隼夫氏との接触はありません。

 当日の傍聴席には隼夫氏との間で困った関係になった人たちも数名見えていました。

 当日、驚いたのは、原告の弁護士から特許権として800万円が計上されているが、検索をしたところ、特許を有してはいなそうですが、これはいったい何ですか、の問いに、隼夫氏は、「それは検索の仕方が悪いからです」と答えた。

 私が検索した結果では、隼夫氏は特許申請した20件中弁理士に依頼したのは1件のみです。

 審査請求したのもこの1件だけ、が、それも拒絶査定されています。

 特許庁は、様式が整っていれば受け付けます。しかし、申請しただけでは審査はしません。3年以内に審査請求をしなければ、申請は取下げたものとみなされます。したがって、特許申請中ではなくなります。

 私は、特許を申請することは特許取得が目的だと思っていました。

 隼夫氏にとっては、特許申請中であることだけに意味があったのでしょうか

 特許庁に支払う金額は、申請に必要な費用は10,00020,000円。

 審査請求をする際の費用は100,000150,00000円。

 特許庁のホームページで、特許に関しては誰でも見ることができます

 隼夫氏の木材乾燥に関わる特許申請は7件あります。が、全て審査請求をしていません。

2004年4月低コストの木材乾燥室

2004年11月 低温除湿乾燥と遠赤外線乾燥の両機能を持った木材乾燥装置

2007年10月細胞膜の水移動機能を応用した木材乾燥機

2008年7月熱エネルギーを使用しないでCO2排出ゼロの木材乾燥方法

2009年5月遠赤外線と超遠赤外線を同時に放射させる木材用乾燥機

2010年7月低炭素木材用乾燥機

2012年4月ハイブリッド型バイオ乾燥機

 木製の木材乾燥装置は、私の想いを込めて2004年の春から製作、夏に完成しました。扉以外は全て国産の杉、桧、松の無垢材、構造はKES構法、乾燥庫がシェルターになります。

 この装置に「愛工房」と命名し2004年7月商標登録を申請。テレビでも紹介され世間に知られることとなりました。すると、「愛工房」は自分が開発した、伊藤好則は技術を盗んだ、真似をした、と、隼夫氏から聞いたと複数の人から聞きました。

 愛工房がもうすぐ設置されます、とホームページに表した福岡県の家具屋もいました。

 私は2005年5月「低温乾燥装置及びパネル体並びにパネル体の組み立て方法」を申請、

 20098月に特許登録されました。

 隼夫氏が2004年4月に特許を申請した「低コストの木材乾燥室」の書類が、特許庁からその年の6月、返却されて来ました。私の名前も明記、押印された書類です。

 返却の理由は押印の間違いです、私の印鑑は既に特許庁に登録済みでした。

 私の名前の所への押印は適当な「伊藤」の印鑑を使っていたのです。

 この時、隼夫氏が木材乾燥装置の特許を申請していたことを、知りました。

  私は、ある寄稿で、人生で一番の贅沢は、健康で長生きすることです。と書きました。

 まずは、心も身体もストレスのないこと。それには、「三つのない」が必要だと書きました。

 「嘘をつかない」「騙さない」「裏切らない」のこの三つ、それに快適な睡眠と笑うこと、これが人生で一番の贅沢を与えてくれます。と。また、年をとってからも働ける人と、働けない人、どちらが幸せかを問いました。働ける身体であること、働く場があること、自分ができる事、やれることをして「はたらく」ことは、周りの人たちへの負担を少なくし、傍を楽にするので、年をとってから「はたらく」ことは、「傍楽」。と、書きました。

 年配になっての「はたらき」は、これまでの、知識、知恵、経験という財産を活かせます。

 私は、今日産まれてくる子どもたちのために、今、何をなすべきか、何をしてあげられるか、これは私たち大人の「権利」だと思っています。子どもを授からなかった私にとっては、子どもたちのことを、考え、心配することは「権利」だと受け止めています。

 この10年余りにおいて、「愛工房」の導入を検討されている方を中心に大勢の方との出会いがありました。設置することで仕事だけてはなく環境にも良くなることを願って対応します、そのことが誤解も生じます。導入できず自分の思惑通りにならない人が、そのことを他所のせいにして批判、不思議なことに、そんな人同士がつながることもありました。

 一番危険な人とつながった例もあり、中にはその後、消滅した企業もあります。

 そのようなとき私は、まっすぐに伸びる杉の大木になれればと思うことがあります、同じ年輪の杉の木なら20年、30年、100年先までの、今からを見る事が可能なのではと。