阿蘇大橋で重機が働いている対岸の周辺を見ていると、上のほうは霧がかかっていて崩れたところは赤土の斜面、その左右には緑の山があります。あの赤い土のところも3カ月前までは緑の山だったのです。崩れないように必死に頑張っている左右の木々たちの姿が痛々しく感じられました。
木々たちもそれぞれに特性を活かし、命をつないでいるのです。
たとえば落葉樹たちは、虫たちに寝床やえさを与え、短命な虫たちは死後数年には土の中でキトサンとなり土の養分となり、その養分を樹木たちが吸い上げます。また、その養分は水と一緒に下流に運ばれ田畑や海の生き物まで恩恵を受けます。山の樹木は養分を自ら確保します。木は自分の周りに虫を育て養分を生成しているのです。薬(毒)で虫を殺す目的がわかりません。
一方、落葉しない針葉樹の杉にはその働きは難しく、自ら高所に住まず、主に養分の多い低地で生息していました。ある文献に、本物の杉の素晴らしさについて、こう説明していました。
「深根性であり、根を深くまで伸ばす。根系直径10mmの引き抜き抵抗力は、スギ、ヒノキと広葉樹(ナラ類)100kg程度、アカマツはその半分、カラマツは4割程度であり、スギは土砂災害に強い森林づくりに好ましい」。文献では、こう書いています。
やはり、本物の杉は日本の宝であったことを再認識しました。各地のご神木の多くが杉であることも納得できます。
しかし、人が使うこと第一の経済優先で、植えるべきでない場所にも杉を植えました。しかも、生き物の生命の源である「実」から育った杉ではなく、枝からつくりだす「挿し木」クローンの苗を植えています。
その苗づくりを簡単に説明すると、杉の枝を切り落として20cmくらいにした枝を束にして、水路に浸して幹に水分を吸わせた後、畑に植えます。畑に植えた枝から根が出てきた後に山へ植えますが、根が土中へ伸びている「もの」は植え前に「根切り」と称して、切るそうです。植えるのに深く掘るのが大変だからでしょう。
このような効率優先の植林は50年前も現在も変わっていないそうです。ただ、「根切り」をしないで植えた地方もあることを聞きました。
一方、実から育つ杉たちは地中へ向かう根が出てから地上に芽を出すのに、挿し木の杉の根は土中より横に根を張るそうです。だから、風に、大雨に耐えられません。このことは以前からわかっていて危惧され、警告もされています。
経済優先で植林された杉は、ほぼすべてが「挿し木」クローンの苗です。そんな苗を急斜面に植えてきたことで起こる災害を、天災と言って済ますわけにはいかないのではないでしょうか。
今から50年前の杉、これから50年後の杉
杉は樹齢30年ごろから花粉を出し始めるそうです。拡大造林で50年、60年前、大量に植えた杉の「挿し木」クローンの苗について、どこでつくった苗が全国のどこに植えられたのか、記録があると思いますが非常に興味が湧きます。なぜなら、杉を植林した地域でも花粉症の人がほとんどいないという地域もあるからです。地元で育った杉からつくった「挿し木」の植林をしていたという地域では、花粉症の人をほとんど見かけないと聞きましたが、全国レベルでの調査をなぜしないのでしょうか。
拡大造林のころ、一本植えて幾らの収入なので、植える本数が多いほどお金になりました。だから当然、密植になります。植えたあとの手入れや間伐が行われていたころはよかったでしょうが、密植されたままだと、地面も空間も限られた場所で、隣同士、四方八方で、杉としても生き残りの戦いになります。すべての生き物は自分の子孫を残すために戦います。杉においては花粉です。
ところが、花粉症の人がいる地域でも、昔は今より花粉は出ていたが花粉症になる人はいなかったと聞きました。
2016年11月、杉の花粉症について、テレビを観ていて非常に明快な答えを知りました。
そこでは、「スギ薬局」の女性の役員、杉浦さんがインタビューに答えていました。質問者がこんなにみんながスギ花粉で困っているのに、薬局の名前を何で「スギ薬局」としたのかとの質問に、
「40年前に創業した際に付けた名前です。そのころ、花粉症はありませんでした」
と、杉浦さんの明快な答えでした。そのうえ、私は「スギ薬局」が、関東、中部、関西に1000店舗もあることにも驚きました。
昨今、花粉をほとんど出さない杉をつくる苗に成功して植林を始めているそうですが、その杉を使うのはこれから50年後、今日生まれる子どもたちです。どんな弊害をもたらすのかわかりません。50年後を考えるには、50年前を検証することが大事だと思います。
アパートの崩壊の悲惨さに衝撃-7月16日③
阿蘇大橋からすぐ近くに、学生さんたちが棲んでいた数棟のアパートがありました。
多くの被害者、犠牲者が出た建物を1棟1棟見て回りました。
完全に壊れ、横倒しになっている建物、2階建てだった建物の1階部分の姿が見えなくなっている建物、中には外見から見る限りでは、しっかり残っている2階建ての建物も1棟ありました。
その中で特に気になった建物は、1階が車庫になっている3階建ての建物でした。下敷きになっている車に気を取られていて、ふと目を移すと建物の奥のほうに柱らしいものが見えました。
地面から60cmほどがコンクリート、その上は赤い鉄骨、全長2mあまりの高さで少し斜めに立っていて上には何も載っていない。前にはつながっていたと思える部品も付いていない。その柱の手間2mほど、横にも2mほど離れた場所に2階建てになった建物がある。
なんとも不思議な光景でした。手前に数台の押し潰された車を見なかったら、2階建ての建物と見間違うところです。
もっと驚いたのは、先ほどの柱から手前に数本の柱が横たわって上の部分は建物の下に入り、柱の根本のほうはアスファルト面から突き出たそれほど太くない数本の鉄筋が折れ曲がっており、中にはちぎれている鉄筋もありました。柱の基礎はどうなっているのか、アスファルト面の下に基礎があればどうつながっていたのか興味が湧きました。専門家でないのでわかりませんが、ほかのアパートも同じような施工だったのでしょうか。
ここに来るまでだれにも会わなかったのに、珍しくカメラをアパートに向けている人に出会いました。腕章には西日本新聞社とあります。私は、「隣でまったく壊れとらん農家さんの建物がありますよ、撮らんですか」と言ったのですが関心を示す素振りを見せません。そこで、「益城町で震度7を2回、6強を2回も遭ったところでまったく無傷の保育園があります。大地震でも大丈夫だったところの取材をしたらどうですか」と言って名刺を出しました。受け取ってはくれましたが、ひと言も発せず、まったく反応がありません。「あじさい保育園」の前田理事長の言葉が思い出されました。
奥山に神様がいられるようにしないと...
一昨日の7月14日、藤本氏の案内で西原村を回ったときのことが蘇ってきました。
県道から細い道へ入った道路際に、屋根付きのしゃれた小さな看板が目に入りました。旧家を改修したお蕎麦屋さんで、営業を始めてほんの数カ月で震災に遭ったことを藤本氏が教えてくれました。
そこを先に進むと2階建てのしっかりした建物、さらにその先には犠牲者が出たという農家の建物、同じ敷地の向かい側には車が屋根を支えている納屋が見えました。もっと先に進むと少し上り坂になっている道路は、前日の雨で一部が小さな川になっていました。
その先の民家の庭から裏山を眺めると、上のほうはすべてがうっそうとした緑に阻まれて先が見えません。
木が、山が、しっかりガードしているように見えたので、大きな声でここは大丈夫でしょうと言うと、この地域は集団移転の計画があると意外な言葉が藤本氏から返ってきました。どうして、と聞くと、ここからは見えないが裏山の先のほうにある植林した杉山が崩れる危険性があるから、とのことでした。
ここに住んでいた昔の人たちは裏山を大切にしていたのではないかと想像しました。その奥のほうの山で崩壊の危険性がなければ、お蕎麦屋さんの再開や途中のしっかりした建物での居住、農家の人たちの住み慣れた先祖の地で、前と同じ生活に戻ることができる可能性もあったのではと思いました。
今回の地震が発生したことで、熊本の各地で山の崩壊が発生しました。今は表に出ていなくても、崩壊する可能性のある危険な箇所は少なくないと思います。
ここで起きていることが日本各地の災害の始まりの序曲にならないことを祈るばかりです。
ますます大型になる台風や大雨、いつ起こるかわからない地震。奥山まで、傾斜地の危険な場所に地すべりの原因となる「挿し木」クローンの苗の杉を植えた結果、日本列島全体が危険地帯になることはわかっていることではないでしょうか。
数年前、南九州のあるところで杉の美林を見ました。見事な杉の畑でした。山の上のほうを眺めると見事な広葉樹、この地方では昔から守ってきたことだと教えてくれました。
日本人は体験を重ねて杉とともに生きてきました。酒樽、味噌樽、醤油樽のすべてが杉を使っていることでもわかります。神社などの宝物殿で宝物を納めている部屋は杉の部屋です。
杉は人の体温を奪いません。体温を返してくれる最高の建材が「杉の床板」です。
杉の学名が「クリプトメリアジャポニカ(日本の隠れた財産)」であることでもうなずけます。
日本国は宝の山の中にあり、日本人は生命の宝の山の中で生きています。
経済優先のものづくりが経済をダメにする皮肉な結果になろうとしているように思えます。
本来、木は山を守っています。奥山には、根が地中に向かう木、土の養分をつくる木、水を貯えて出す木、空気をつくる木、山を守る木がいるから、山に神様が宿っているのです。
『木造都市の夜明け』
第3部 P.175より