命に良い素材を施主が選ぶ時代に

命に良い素材を施主が選ぶ時代に

建物は命を守る器です。経済や効率優先で建てる建物では一番大切な命を守れません。

私は、人の命、地球の命、木の命の大切さを当たり前のように訴え続けていこうと思います。

建物は基礎や構造体が頑丈でも、そこに住む人の命が守られなければ本末転倒です。

住まいは、住む人の命を守ってこそ住まいです。これが基本です。

赤ちゃんは超能力者です。命の危機を感じたら泣きます。

赤ちゃんが認めてくれる家は、安全な空気の家です。

ホコリを引き寄せる素材を使わない建物が、「本物の、健康住宅」です。

生きた素材が呼吸し、生き合う建物が「本物の、健康住宅」です。

安全な空気のある家「呼吸住宅」が、「本物の、高級住宅」です。

住む人が安心して命を預けることのできる建物が、「本物の、住まい」です。

住まいに使われる建材は、「命に良いものか、命に悪いいものか」で選ぶべきです。

住まいの中で、一番長い時間を過ごすのは、「寝室」です。

住まいの中で、一番大切な寝室は、「命を回復する」部屋です。

住まいの中で、一番大切なものは、「安全な空気」です。

今、私のところには、新築を予定されている方からの相談が年々多くなっています。
安全な住まいを求めてのことです。施主のみなさんが気づいてきました。
建物は命を預ける器。施主が勉強し、命に良い素材等を自らが選ぶ時代がやっと訪れました。

その中に、東京・中野区に2階建ての終の棲家を予定されているA子さんがいます。建物に使用するすべての木材を「愛工房」で乾燥した木材で建てたいとの目的で来られました。

私は、「部屋の間取りなど、そこに住む人、使う人が主になって計画案を書いてください。それを土台にして一緒に考えましょう」と言って進めました。

 「杉浴」にも再三参加されています。7月、熊本から帰ってから「杉浴」の参加者に「あじさい保育園」の話をしました。聞いていたA子さんは、株式会社シェルターから資料を取り寄せて勉強されたそうです。

打合せの最中、「伊藤さん、うちみたいな小さな建物はKES構法では建たないのでしょうね」と言われました。取り寄せた資料には、公共物件の大きな建物、住宅でも大断面の大きな建物が紹介されていて、延べ床面積20数坪の建物は見当たらないのですから、そう思われても仕方ありません。

 A子さんにしてみれば、できれば震度7に2度も耐えられたKES構法で建てたいとの思いを捨てきれずの相談でした。それと、木材は集成材ではなく「愛工房」で乾燥した無垢材を使いたい、この意向は変えられない、と言われました。

私はとてもありがたくA子さんの問いを受け止めました。じつは、私の方から勧めたかったことを施主から言ってきてくださったのです。

『木造都市の夜明け』
第3部 P.184より

まったくの無傷、奇跡の「あじさい保育園」

 この日、ぜひ行きたかったのが「あじさい保育園」です。「木山神宮」のすぐ近くでした。

 株式会社シェルターからいただいた資料によると、まったく被害がなかったとあり、これまで見てきた状況からは信じられないものでした。周辺の大きな被害を受けた建物と同じ軟弱な地盤に建っているのですから。

 関係者に確認したいと思いつつも、お忙しい最中、アポを取ることのほうが失礼との思いもあり、突然伺いました。

 園の敷地の中で立ち話をされていた方に挨拶をして名刺交換をすると、その方は理事長の前田晴重氏でした。来訪の用件を告げること数秒、「事務所へどうぞ」と案内されました。

 椅子に座るなり、前田氏のひと言に驚きました。
 「板橋区は一族が前から住んでいるところです。大野というんです」
 耳を疑うひと言でした。「愛工房」を設置し、生産工場として使用している高島平の建物の大家さんが大野さんだからです。2011年の11月に、前に借りていた建物の大家さんから突然出て行くよう言われて探し求め、翌年の初めから借りた建物です。なんだか身震いがしました。

 話が盛り上がり、午前11時ごろに突然お伺いして、気がつくと午後1時30分を過ぎていました。それから、建物内外の写真を撮らせてもらい退出したのは午後2時近くになっていました。

 建物の内外観の破損、被害はまったくない。空調機の室外機はもとより、外部の配管も外れたものやずれたものがないのには驚きました。周辺の惨状からはまったく想像できない光景です。

 なにより一番よかったのは、園の子どもたちの笑顔でした。子どもたちから声をかけてくれます。子どもたちからハイタッチもしてくれました。子どもたちから幸せをいただきました。

 前田氏の話の中で、お母さん方から「この園に子どもがいる間は安心」と言われて頂けるそうです。こんな園が全国に何カ所あるでしょうか。

 周辺と同じ軟弱な地盤に、震度7が2回、6強が2回、6弱が3回、それでも何ともなかった、という「あじさい保育園」の真実と情報がまったく伝えられていません。

 熊本市内に住む妹や姪たち、友人たち、もっと近いところで16日に南阿蘇を案内していただく、南阿蘇村に住み熊本市内に事務所のある九州中央経理の山本友晴社長、もっともっと近いところで、今日案内してくださっている藤本氏───。みんな私からの情報で「あじさい保育園」のことを知ったのです。

 これが現在の日本の情報の姿なのです。

 驚いたことに、震災後、テレビ局も園への取材は何度か来ているとのこと。それなのに、理事長が建物のことを話そうとすると、今日はそのことで来たのではないと告げられたと言います。いびつな情報伝達といえましょう。

 震災の惨状を知らせることは絶対に必要でしょう。ただ、大震災にも耐えたこのような情報も今後のためには必要です。たとえ取り上げる相手が広告を出す可能性がなくとも真実は伝えていかないと、マスコミは公共の役目を果たしているとはいえなくなります。インターネット時代の今日、あらゆる情報が一人歩きして広がるようになりました。テレビや新聞が自己都合を優先する調整された情報に甘んじていれば、近い将来必ず国民にソッポを向かれる日が来るはずです。

『木造都市の夜明け』
第3部 P.161より

時代のキーワードは「生命」

 一般的には、買うときは安く買ったことが得した気分になるものですが、長く使用するものは、使っているうちに買った時の値段よりも、その「もの」が良いか悪いかで評価されるのではないでしょうか。

本物は「もの」をつくる人たちがまず考えるべきことなのですが、買う人、使う人が真の健康、人と地球の未来を考えた選択をしだすと、「もの」をつくる人たちも変わらざるを得ません。

特に、一度建ててしまったら取り替えのきかない住まいの素材は、そこに住む人たちが「幸せ」になるか、「不幸」になるか、大きな責任を背負っています。

リフォームして体調が悪くなったり、待望の新築マイホームが原因で病気になってしまったら、たまったものではありません。住まいが原因で病気、その先にあるのは家庭崩壊と生命の危機です。

生命を守る住まいとは、呼吸する素材を使用している住まいを指します。
残念ながら、現代の日本の住まいを席巻しているハウスメーカーで使われている石油を原料とした化学建材には、化学物質を放出するものが多いのが現実です。人体の健康を損なうだけでなく、脳に対する影響もあると聞きます。最近は、昔では考えられないような犯罪があまりにも多くなっています。誤解を恐れずに言わせていただければ、近年の肉体的、精神的な障害の原因が住まいにある可能性が高いように思います。

どれだけ儲かるものをつくったとしても、それが環境を壊すものや生命を脅かすもの、そして将来的に負の遺産になるものであっては、絶対にいけません。子孫に何を残すのかが問われている時代です。

国策の名の下で、私たちの年代は生まれてまもなく戦争の犠牲になりました。そして今また、「原子力は国策」として進めてきたリスクを味わうことになっています。本来、国策とは国民のための対策であるべきはずなのに、国民を犠牲にする対策となっています。

目先の豊かさはもう結構。たとえ苦労しても、将来の幸せを目指す生き甲斐を求めたいものです。私は子供たちに、安心して暮らせる環境を残すお手伝いをしたいと心から思っています。

大量生産・大量消費・価格破壊の時代は、環境破壊・生命軽視の時代でもありました。これからは「生命優先」の時代にしないと、日本は「環境破壊先進国」として、いずれ世界中から非難を受けることになるでしょう。

「この品物は、あなたの生命を損ないます」

「こちらの品物は、生命を守ります」

されあなたはどちらを選びますか?

こう問われて、前者を選ぶという人はまずいないでしょう。
商品の善し悪しは、「生命に良いか、悪いか」が基準になる。そんな時代は、もうすぐそこまで来ています。キーワードは「生命」なのです。

環境を破壊するのは、常に大人たちです。子供たちに何を残すのか、何を残せるのか、何を残すべきか、いま真剣に考えて実践しないと、将来子供たちに恨まれるでしょう。私は、そんな大人でありたくありません。

『樹と人に無駄な年輪はなかった
第6章 P.265より

今の住宅事情には、ご用心を!

 世界各国の住宅の寿命は、各国の住宅耐用年数比較表(木俣信行 表2・建築物の耐用に関する諸統計 財団法人・日本建築学会「木材研究・資料 第37号 2001年」)によると、イギリスの141年、アメリカ103年、フランス85年、ドイツ79年、日本30年とありました。
 日本のレベルが低いこともあってか、最近、日本でも「100年住宅」「200年住宅」という言葉をよく耳にするようになりました。しかし、それは実情を伴ったものなのでしょうか。

 建物の寿命だけでなく、そこに住む人の寿命を延ばす素材を使った住宅がほんものの住宅です。生きた木は建物になっても呼吸しています。動物たちが必要とするものを提供して動物たちが吐き出すもの(二酸化炭素)を吸収する。つまり、住まいの中で森林浴をさせてくれます。すでに100年を経過している、日本の本物の100年住宅には、天然乾燥で酵素が残っている、生きた木しか使われていません。

 しかし、最近よく耳にするハウスメーカーがこぞって「100年住宅」「200年住宅」と謳って売り出している建物は、残念ながら生きた木を使っていないものが多いようです。たとえその木が呼吸する木であっても表面に化学製品を張ってしまったら、木は殺されたも同然です。塗料も同じです。せっかく無垢材を使っていても、化学物質の入った塗料で呼吸を止めてしまっては無意味です。

 日本の住宅の90%で使用されているといわれる「ビニールクロス」、正確には、「塩化ビニール」は、アメリカの住宅では全体の10%ほどしか使われていないと聞きます。
 さらに、そうした塩化ビニールを使わずに木だけ使っていても、安心できません。日本のハウスメーカーの大手が「安い」という理由で使っている輸入材(外材)は、化学物質ににまみれているのが現状です。外国の産地で船積みされたほとんどの木材は、防虫、防カビ対策に大量の農薬が使われます。つまり、”毒漬け”されながら海を渡ってくるのです。こうした木に染みこんだ毒は、建物や家具に使われたのちに、少しずつ揮発するなど大気に出てきて、住まいの空間を毒の空間にしていくわけです。

 石油から生まれた化学物質で、身体も脳も冒される。そのうえ、世界一短命な住宅のみならず、そこに住む人も短命になる住まい---。
 日本の住宅は、消費者の知らないところで、ひどい状況にあります。
 とはいえ、知っている人は知っています。しかも、意外な人が...。
 2010年の春、大阪で新築を予定している施主さんが、建築会社の社長と一緒に愛工房にやって来ました。施主さんはその建築会社に、仕上げ材は愛工房で乾燥した板材を使用するように指示していました。

 完成後、再び愛工房に来られた建築会社の社長のお話では、この施主さんは打ち合わせ段階から天然素材にこだわり、化学建材の仕様をいっさい認めなかったそうです。あらゆる方面から集めた情報の資材使用を厳しく要求されるので、一時はお断りしようかと思ったほどだったといいます。

 厳しい要求をしつづけた施主さんのお勤め先を聞いて、私は「やっぱり」と思いました。近く定年を迎えるこの施主さんは、誰もが知っている、建材・建築も関連している有名な化学製品メーカーの重役さんだったのです。

『樹と人に無駄な年輪はなかった
第1章 P.47より

化学物質住宅に、悲しみと怒りを込めて

農(毒)薬と住まいは無関係ではありません。むしろ食べ物よりも人の命、神経、精神を犯されていることが多いと思います。食べ物は選べますが、空気は選べません。
ネオニコチノイド系の農(毒)薬は、ヒトの脳への影響、特に、胎児、小児など脳発達への影響が懸念されています。既に、ヨーロッパでは、数年前から使用が禁止されています。
食べ物は、胃や腸を経て全体にまわります。空気は即、体全体にまわります。
一日に摂取する空気の重量は、一日に食べる食物の5倍あるいは10倍とも言われています。
一軒の住宅に使われている、新建材や合板の中のネオニコチノイド系の農(毒)薬、かなりの量が使われています。
安全基準は生産工場から出る時のもの、実際に住まいに使われてからの危険性については、どこも責任も、感知もしません。自分の命、家族の命、自分で守るしかありません。
現代社会を生きるには「食べ物」は、大切。しかし、「住まい」の空気は、もっと大切。

 

―1.母子無理心中
2016年7月23日の夕刊記事を見て愕然としました。間違いであって欲しい、何度も確かめましたが、住所、氏名、年齢、私の知っている親子でした。
ちょうど1年前の7月、初めて来所した母親の話では、子どもが産まれるので10年前に新居を建てた。すると出産以降、母子とも年々体調不良となり、住まいが原因であることに気づいて10歳になる男の子を連れて相談に来られました。リフォームするには費用が大変。部分的な手入れでは解決しない、そこで、私は、土地が少しでも空いていれば、2人の避難小屋をつくることを提案しました。しかし、その後、その話しは進展しませんでした。当初は母子で「杉浴」に参加していたのが、途中から母親だけになりそのうちに来なくなりました。建築会社は、誰もが知っている大手のハウスメーカーでした。

新聞では「西東京の住宅で母子無理心中か」の見出しで
“22日午後10時40分ごろ、東京都西東京市の住宅で、住人の主婦(44)と長男の小学6年生(11)が死亡しているのを、仕事から帰宅した会社員の夫が見つけて119番した。警視庁田無署は現場の状況から母親が無理心中を図ったものとみている。署によると、母親は2階の部屋のクローゼットの中でロープで首をつっていた。長男は同じ部屋の布団の上にあおむけで倒れており、首にひもで絞められたような痕があった”と。

身体も、精神も追い詰められたのか、何とも言いようのないできごとでした。
シックハウス、化学物質過敏症では、家にいる時間が長い奥さん、免疫力の低い子どもたちが受ける被害が多く、旦那さんに理解されないことが多いので、相談には夫婦で来られることを勧めます。夫婦で来られた場合はほとんどが良い結果になっています。
本来、人をはじめとして生きものは、危険なものに対して、「危ない」と察知し反応するのが当たり前です。命に危険なものを、「危ない」と知らせる身体の人に「過敏症」という病名をつけていますが、こちらの方が正常で、危険なものに対して無反応な人の方が「化学物質鈍感症」という病気だと教えます。過敏症と言われている奥さまが正常なのですと告げると、旦那さんや周りの人たちに理解されず精神的にも参っていたのでしょう。泣き崩れる奥さまもいらっしゃいます。
旦那さんにわかって貰えたことで精神的にも救われ、呼吸する建材、家具などを取り入れた日から、身体が良くなっていく、奥さまや子どもたち。ご主人も家庭もみんなが救われます。

―2.恩師の死
西山中学校を卒業して、半年後、母は小学生の妹と就学前の弟を連れて10年余りの住み慣れた住まいを出ることになりました。父、兄、直ぐ下の妹は既に家を出ていたので、私は、自分の住む場所を求めて寮のある就職先を新聞の求人欄から探して応募することに、就職難の時代です。見習い工員1人の募集です。必死でした。考えた末、又吉熊雄先生を訪ねて推薦状をお願いしました。卒業時は教頭をされていた先生は、この年からは同校の校長になられていました。
もう1人、一新小学校で3年から6年までの担任、上里良蔵先生にもお願いしました。
お2人の推薦状のお蔭で9人の応募の中で1人、採用となりました。お2人とも沖縄のご出身でした。その後、最後までお付き合いをさせていただきました。
そうまでして就職した職場を翌年の6月には、丁稚になりたい一心で大阪へ向かいました。お2人には働き先が決まって、お詫びと報告をしました。
8月の暑い日、店先に、又吉先生が見えました。覚悟の上での丁稚修行でしたが、仕事へのとまどい、それより、職場の人間関係、生活の違い、驚きと辛さを感じていた頃でした。先生と何の話しをしたのか憶えていません。が、とにかく嬉しかったこと、心強い気持ちになったこと、有り難かったこと、思い出すと今でも涙が止まりません。
私が独立し、結婚したころには、先生は埼玉県の所沢に住まわれていたので、夫婦でお宅へよく伺いました。妻は奥さまから電話があると、所沢のお母さんから電話だよと言っていました。あるとき、大阪の丁稚先へ来てくださったときのことを尋ねました。
先生は、「校長になって初めて送り出した子どもたちだ。高校へ進学した子どもたちは高校の先生方が心配してくれるが、中学校を出て世の中に出た子どもたちは、私たちが、気に掛けてあげるのが当たり前でしょう。無理をしてでも多数の子どもたちと会いたかった」と、私は後輩たちの恩恵にあずかったことを知りました。先生は、夏休みの期間中、時間とお金の節約に、通りがかりのトラックに乗せてもらったことの話もされました。先生の生徒への想い、懐の深さに改めて感銘を受けました。

2016年8月15日、又吉先生宅へ夫婦で伺いました。先生ご夫妻は既にお亡くなりになっていますが、私より2歳若いご長男とはその後もお付き合いが続いています。20年前に亡くなられた先生の思い出話をしている中で、大変な体験談を聞きました。
独身の彼は完成した住まいに平成2年、両親と一緒に住むことになるが、その前まで数年間住んでいたのが新築のマンション。そこに住み始めた頃から身体中に痒みが出るようになったが、新築の住まいに住み始めると痒みは一層激しくなり、手首から背中まで痒さと戦う苦しみの毎日で血だらけの体に、夏でも半袖シャツを着ることができなかった。
仕事で海外へ出張することも多く、先進国のホテルでは熱いお湯が出るので一番熱くしたシャワーを浴び、次に冷たい水のシャワーを浴びることができて助かったが、ぬるま湯しか出ない国では地獄だった。と、壮絶な話し、聞いているこちらが地獄でした。
ただ、当人の皮膚は、体は、どちらも地獄だったのでは。

今は、新築から20年以上が経過して、建物に使われていた毒は薄らいできたのでしょうが、半袖シャツから見える彼の腕には、血だらけの苦しみと戦った痕跡が残っていました。
彼は、自分がそんな目に遭うのは、自分の皮膚が弱いからだと受け止めていたが、私が木に関わるようになった10年ほど前から、話しの中に出てくる、部屋の空気の大切さを聞くにつれ、建物が原因だったのでは、と、気づいたそうです。
彼から、「新築の家に住み始めたころから、それまで何ともなかった親父が身体か痒いと言い出した」。と、建築会社は、母子無理心中と同じ大手のハウスメーカーでした。
先生は、平成6年の始めに入院され、3月の自宅外泊の日に伺うと、ご自分の病名を「気質化肺炎」と書いて渡されました。3年後の西山中学校創立50周年の話しをすると、一緒に行こうと言われて、嬉しい反面妙に気になりました。体調を崩されて、この、2、3年前から遠くへ出ることがなかったからです。平成1年から続いていた、関東地区の同窓会への参加へも無理なのに、熊本へ行くことなど到底考えられないことでしたから。

平成1年の秋、新宿で関東地区の同窓会を開催、参加者20名ほど、又吉先生ご夫妻をお迎えして、先生の傘寿のお祝いとご夫妻の金婚式のお祝いをしました。平成2年の秋にも同じ場所で、その年は先生のご自宅の完成を皆で祝いました。(後で思えば皮肉なお祝いになってしまいました。)
新築の住まいに引っ越された翌年の平成3年は先生の体調が思わしくなく欠席の予定でしたが、開催日近くになって、出席の連絡をいただき、自宅までお迎えに行きました。先生の参加はこの年まででした。
平成6年3月にお会いした翌日、先生は病院に戻られ、熊本どころか、自宅へも帰ることなく5月29日帰らぬ人となりました。もっと、ずっと、見て欲しかった、無念でした。
これまで、先生に見守って頂いている、その思いで、間違わずに進めました。
間違った新築のおかげで、あと10年、それ以上も語り合えたのにと思うと、悔しさと、怒りがこみ上げてきます。
あの頑健なお身体の先生が新築病、空気病が原で、大切な恩師の命を奪われました。

 私が60歳を過ぎて、現在の仕事に導かれたのは、そうだったのかとも思いました。
 私たち3人は所沢霊園に眠る、先生ご夫婦と、先生のご両親、先生の大切な2人の伯母上に会いに行きました。

 先生とお別れした翌月の6月、前年に続き母校での講演でした。この月は、高校、中学校など6か所での講演でした。地元の熊本日日新聞は母校での講演の様子などを、「嫌煙社長奮戦記」と題して、4日間連載で掲載しました。
 記事の中の一節では、“同中では中学時代の思い出を語りながら、先日死去した恩師の又吉熊雄校長に話が及んだ時、伊藤社長が一瞬絶句したのも若い後輩たちとの距離を縮めたようだった。図書室には伊藤社長が、講演した謝礼の寄付で学校が購入した、たばこ問題関連の本を集めた伊藤文庫がある”と。
 平成9年に行われた創立50周年には、生前、先生が大切にされていた腕時計、それに愛用されていたネクタイと一緒に出席しました。
 家は、住まいは、住む人の命を守るものと思っていました。身体を、精神を、損なうために、家を建てる人、住まいを選ぶ人は1人もいないのです。
 造る人たち、提供する人たちは、このことを自覚すべきです。

船井幸雄.com コラム
2017.05.10(第77回)より