“経済優先から命優先へ舵を切れるのは”
平成から令和へ  森林大国の可能性

 2019年、元号が改まるこの年、変わるのは元号だけではなく、何かに出会う、何かが変わる、何かが動き出すことを感じました。また、今より20年・30年前の頃の出来事を思い、これから20年・30年後から振り返ってみた「今」を楽しむ、そんな年を迎えました。

 1月9日、出版社の世論時報社から取材申し込みのメールがあり、月刊「世論時報」で「森林大国の可能性」を企画しているとのこと、発行日が、2月1日には驚きました。

 担当者と電話で打ち合わせ、取材を17日、一週間後に校正とのことでした。

 その前日には舩井メールクラブへの執筆依頼がありました。2年前に舩井幸雄.comへの依頼もこの時期でした、2017年4月から3カ月間掲載された時以来のことですが,この春に予測される諸々の展開への思いがあって掲載日を4月まで延ばしていただきました。

 

 すると16日に、福岡県糸島市役場より昨年から要望のあった熊本県山鹿市で稼働中の木材乾燥装置「愛工房」見学希望の書面が届きました。

 参加メンバーは糸島産材活性協議会6名(業者)、市の事務局は農林水産課職員2名、それに業務請負者として住友林業の方が1名記されていました。

 見学の日時は1月24日の15時から16時とのことでした。

 「愛工房」見学に際しては私が立ち会うことと決めていますが、見学が1時間であること、また「世論時報」の校正期日との兼ね合いもあり、立ち会いは設置先の(株)ゆうき の方にお願いして、糸島市の役場へ前日中に資料が届くように手配したことを担当者に知らせる。すると前日は朝から出発しているとのこと、資料が役に立たない事が分かりました。

 やはり「愛工房」の見学には私が立ち会うことが必然だったようです。
 持参する資料を準備、23日の夕方に福岡へ入り、24日の午前中に福岡天神の(株)コスミックエナジー研究所の事務所訪問を考えました。

 数年前、高台の閑静な場所(福岡市中央区桜坂)に事務所を構えた際、玄関、廊下、事務所内のすべてに敷くために100枚を超える「杉板パネル」を買って頂きました。

 事務所への敷き込みを済ませたばかりの事務所に伺うと、社長の村田さん(矢山利彦先生のお姉さん)と東京から同行した船瀬俊介氏は「杉板パネル」の感触に感動していました。

 その後、現在の天神へ事務所を引っ越した際には前に使っていた全ての「杉板パネル」を新事務所で使用している事を聞いていたので「杉板パネル」にも会いたかったのです。

 チケットの手配中に村田さんへ電話を入れると、23日の夕刻に船瀬氏が取材で矢山クリニックを訪れることを知りました。

 手配寸前、船瀬氏に電話を入れ現地で合流することに、こんなことってあるのですね。

 1月23日、空港へ来られた村田さんの車で佐賀の矢山クリニックへ向かいますが、その前にすぐ直ぐ近くで矢山先生の奥さまが園長をされている保育園へ伺いました。

 園長の案内で室内へ入ると直ぐに衝撃的な出来事を見ることに、3歳くらいの女の子が「ゆうこちゃん」と園長の名前を叫んでダッシュして園長に抱き付いてきました。

 驚きと少し羨ましい思いで座って見ていると、第二の衝撃、先方に座って居た小さな男の子がやおら立ちあがり、トコトコ、ニコニコ、その光景は今でも目に焼き付いています。

 近づいて来てからの思いがけない行動に、園長、村田さん、保育士の方、皆が驚きました。小さな天使は私の目の前まで来ると両手を広げるだけ広げ、私に抱き付いてきたのです。

 男の子は1歳7ヶ月と聞きました。可愛い天使から最高の幸せを戴きました。

 1月23日、この日は私にとって特別な日です。今より54年前、再出発を誓い、現在のこの地に根を下ろした日です。また、木材乾燥装置として「愛工房」を開発した1年後の13年前、設置先を求めて最初の移転先を契約したのも1月23日。志村3丁目の恵まれた場所に6年間お世話になり「愛工房」は小学校を卒業、高島平の中学校へ進みました。

 1月23日、この日は子どもの頃に私が自分で決めた私の誕生日です。

 25日の朝から校正を終え、世論時報2月号、特集「森林大国の可能性」、木を生かす奇蹟の木材乾燥、“「経済優先」から「命優先」へ舵を切れるのは消費者”として掲載されました。

久し振りの矢山クリニック

 矢山利彦先生とのご縁は、船瀬俊介氏が同郷の先輩であったことからです。船瀬氏との出会いは経営する電気工事会社の社員による喫煙との戦いに一番苦しんでいた頃です。

 大阪千日デパートの火災で118名の死者を知ったことが、タバコとの戦いの始まりです。電気工事従事者のタバコの火の不始末が原因と知り、先ず自分自身の断煙に挑戦、これに5年を費やし、ニコチンとの戦いに克ったと確信がもてるまでに5年、ニコチン依存症のコワサを確りと体感しました。社員の健康、現場の安全を願って、当時約半数の非喫煙者には5千円の手当てを支給して喫煙者に断煙を勧めるが、効果はない。苦戦の連続でした。

 この頃、私たち夫婦は子どもを授からないことを受け入れることに、そこで選んだのは、学卒求人です。寮と自宅を兼ねた本社ビルを建設、妻は、寮の新入社員たちの朝食、夕食をつくりました。しかし、高校卒業して入社して間もない子どもたちが、タバコを止められずに次々と退社しました。今では考えられない喫煙の世界です。高校・中学・小学の喫煙経験者の割合が、7・5・3とも言われた頃です。先輩たちの喫煙が作用している事は当然の事です。また、職場が建築の作業場、休憩の合図が「いっぷくしょうか」の世界です。
 全員がタバコを吸わない会社になることなど、夢のまた夢、奇跡の世界でした。

 挫折寸前のところで出会ったのが「たばこ問題情報センター」の渡辺文学氏です。
 タバコに関する勉強会を頻繁に行い、喫煙問題に取り組み始めて9年、全社員の非喫煙会社が誕生、この月より1万円の非喫煙手当を全員(18名)に支給した給料日、感無量でした。

 やはり本当の情報に勝る薬はないことを思い知りました。このことは「たばこ問題情報センター」の機関誌「禁煙ジャーナル」で紹介されました。求人活動で訪問している高校や周辺の中学校からの講演依頼も多く、地元の新聞で紹介されると、学校訪問が求人活動か講演活動か分からない状態になりました。また、学校の敷地内での禁煙を強く訴えました。

 そのころ、職場における禁煙の経済効果を具体的な数値で発表するとNHKを始め各メディアで、その数値が紹介されました。日本人は数字に強い、だから数字には弱い。

 1993年埼玉県大宮市(当時)で開催された、第3回「アジア太平洋タバコ対策会議」において「人財育成と職場の禁煙効果」でもそのことを発表しました。

 たばこ問題の会合で出会った船瀬氏とは同じ九州人としても意気投合、互いの講演活動に同行することが多く、建築、風景、環境問題の取材など忙しくなった頃、そこで起きたのが船瀬氏のお嬢さんが医療過誤で命を絶たれた事件でした。

 この事件の翌年から私は、本格的に船瀬氏のマネージャー業を始めました。
この年が電気工事業を卒業すると決めていた60歳、私はその年齢になったのでした。
 この事件を船瀬氏は法廷で医療過誤損害賠償訴訟を本人訴訟で戦い奇跡と思われた医療過誤事件の勝訴判決を得ました。薬害、医療関係との戦いを執筆、講演活動が始まりました。

 矢山先生から現在のクリニックを建築する際に相談を受け、阪神淡路大震災で3階建て木造住宅73棟のうち延焼した1棟を除き72棟全てが無傷だったKES構法、その会社を紹介するために山形県の(株)シェルターへ案内しました、が、これは実りませんでした。

 その後、船瀬氏と一緒に竣工間もないクリニックへ伺った際、「愛工房」で乾燥した黒芯の杉板を矢山先生に披露するとその板を抱え込み「でちょる、でちょる、気がでちょる」と言って、私の手元には戻ってきませんでした。先生は愛工房から生まれた、黒杉の素晴らしさを最初に認め、商品開発の基をつくってくれました。

 注文をいただいた杉のお盆、クリニックで使っていただいて既に10年以上にもなります。

 船瀬氏が到着するまでの間、診療を終えた矢山先生と久し振りの懇談となり、感激した先程のトコトコ、ニコニコの天使の話しをしました。すると、先生、いきなり椅子から立ち上がり大きな声で「伊藤さんにジェラシーば感じるバイ、わしが近づいても寄って来んと」と、私も隣の村田さんもビックリ、「私を杉の木に見えたんじゃないの」と、私。幼い子どもたちは超能力者です、先生の後ろには大勢の人たちの「命」が負ぶさっているからでしょう。先生はそれがお仕事ですから宿命ですよ、先生は大勢の人たちの命を救っています、と、慰めにもならない話しとなりました。

 程なくして船瀬氏の到着、先生は日本刀での試技、その切っ先に立った船瀬氏の取材、お二人の真剣な動作を黙って見ている私、ここでは静かな傍観者でいました。

 翌日コスミックエナジー研究所へ伺って感動しました。移転前の事務所で使われていた100枚以上の杉板パネル、その全てが移し活かされていました。そのことは聞いてはいても、自分の目で見て体で感じて感動し、写真を撮りまくりました。

 事務所は9階建てビルの4階、この日、暖房機を稼働していないと聞きましたが寒くないのです、これには驚きました。

 それ以上に驚いたのは、山鹿まで行ってから福岡空港まで送ってくださるとの村田さんの申し出でした。予約していたレンタカーをキャンセル、お蔭でいろんな話ができました。

 村田さんのお住まいが糸島市であることを知りました。

 山鹿へ向かっている途中に携帯電話で知らされたことは、糸島の人たちの到着が予定より遅れるとの事でした。
 予定していた時間も短かった上に、慌ただしい視察となりました。
 住友林業の人が搭乗する飛行機の時刻を盛んに気にしていました。
 私たちは余裕を持って福岡空港へ向かい、空港では村田さんに頂いた一冊を読みました。

 事務所で村田さんに二冊の本を頂きました。一冊は「体内革命!自力でがんを消す方法」(幻冬舎)。もう一冊は「舩井幸雄の魂が今語りかけてきたこと」(ヒカルランド)、この本は、空港と帰りの機内で大半を、翌日一気に読み終えました。おこがましい言い方ですが、矢山先生の発想と信念、生き様を少しは理解できたような気になりました。
 素晴らしい人との出会いは人生の財産であることに共鳴しました。
読み終えて直ぐに20冊を購入、来所する人たちに薦めています。

 よく、あの人とは気が合うと言われますが、お互いの体の中にある「水」が合うことだと思います。人の身体の殆どが水なのですから。

 東京へ帰ってからも、脳裏に残るトコトコ、ニコニコの天使の姿を思い出してはニヤニヤしている自分がいました。

 2009年秋の出来事を思い出しました、板橋区高島平の保育園で0歳児の教室を愛工房乾燥の杉材でリフォーム終えた直後のこと、教室の床に座って見回していると正座している私の膝の上に男の子がチョコンと、同行していた石原氏急いで写真を撮りました、しかも、すぐ近くには次は自分の番だとの姿勢をした子も写っています。

 その数日後伺うと先日の子とは違う子が、高さ70㎝程の柵に捕まって私に抱っこ要求のゼスチャー、保母さんに断り抱きかかえると、その子はしがみついてきました。男の人に抱かれることは無いのにと不思議なものを見る目でつぶやく保母さん。

 別れる際に下へ降ろすのも大変でした。小さな天使たちも今では10歳になります。今も手元にある、チョコンとの写真を見る度にあの日のことが蘇ります。

 この天使たちに「なに」を残し、「なに」を渡せるのか、私たち大人はどうできますか。

建物を建てる目的は

 建物を建てる目的はそこに住む人、そこを使う人の「命」を守る、これが大儀です。

 「命」を損なう建物は、建物本来の目的を見失った建物です。

 2015年の春、日本初のKSS構法による一時間耐火の木造4階建てビルが完成しました。建築中、完成時、完成後の見学に2千人近くの人たちが訪れました。

 私たちが引っ越して、生活が始まったのは建物が完成してから半年近く経ってからです。

 ビルの完成が近づいた2014年11月(株)シェルターは木造2時間耐火の認定を取得、これにより14階建ての木造建築が可能になりました。

 そのことを知った私は、(株)シェルター社長の木村一義氏に、木造建築は 「命」を守る建物として地上より足元20mに抑えることを提言しました。

 これまでの鉄やコンクリートを使った建物は経済、効率優先の土俵です。

 木造の建物は、山の命、地球の命、人の命、「命」を大切にする土俵だからです。

 以前、船瀬氏と学習塾を長年経営されている女性の方を取材した際、6、7階から上の階で生活している子どもたちは多動症の子が多いと聞きました。地面から離れる程に肉体的、

 精神的に支障をきたすこと、特に流産率の高さを含めた胎児への影響が危惧されています。

 2018年1月半ば、木村社長から3人で食事をとの誘いがありました。

 船瀬氏と私が席につくなり社長は、「お二人のお蔭でここまで来ることができました。昨年12月に木造3時間耐火の認定を取得しました。これで大規模木造建築が可能になりました」と、大きな体を曲げての挨拶、私は恐縮するばかりでした。

 久し振りの3人、この夜は大いに盛り上がりました。

 私たちの出会いは、船瀬俊介著「コンクリート住宅は9年早死にする」を読んだ木村社長から著者に会いたいとの連絡をいただいき、2002年12月26日に会いました。
 初対面で木村社長の、「木の土俵づくり」が大切との趣旨に大いに賛同しました。
 しかし、私たちが応援するには企業主体ではない別の機関づくりの必要性を提案、そこで発足したのが次世代木質建築協議会「NEWCA(ニューカ)です。これで私たちも非常に動きやすくなり「NEWCA」主催の船瀬俊介氏講師の講演会を全国各地で行いました。

 出会って間も無い頃、社長へ「建物が頑丈で長持ちしても、そこに住む人が早く亡くなっては本物の住宅ではない。住まいは安全な空気が大切です、ビニールハウスの中に住んでいるような建物をつくっていては、本物にならないですよ」と。数日して山形へ行くとモデルハウスの入口に設置した看板に、ビニールクロス撤廃宣言と書かれていました。

 次に、日本の木を使うことを訴えました

 後日、私の提案の中でこのことが一番厳しかったと言われました。当時使用していた木材は調達しやすくしかも安い輸入材が全体の7、8割だったことを聞きました。

 利益を優先すると躊躇することが当たり前、それを即刻国産材に切り替えた。

 そんな事情を知った私が、よく切り替えましたね、と言うと、「伊藤さんの言うことが正しいからです。もちろん手間ひまかかることですから、難儀なこともありましたでも、地元の木を使って建てることに対して、みなさんが喜んでくれるのです」と。

  2018年2月16日「国産材活用による地方創生トップセミナーin東京」「都市の木造化への挑戦」 主催一般社団法人日本木造耐火建築協会(会長・木村一義氏)が、東京、赤坂で開催されました。

 第一部のセミナーに国や地方行政の関係者や企業から140名余りの参加者で大いに盛り上がりました。今まで鉄筋コンクリートや鉄骨でしか建てられなかった中高層・大規模建築物が木造で建てられることになり盛り上がることは当然のことです。

 第二部の交流会には50名程の方が参加、なんと乾杯の音頭に私が指名されました。

 乾杯の前に一言とのことでしたから、3時間耐火が認定されたことで木造高層のビルが可能になったのは結構なことです、が、水を差すようで悪いが、何の為に建物を建てるのか、木造の建物は住む人の「命」を守るための建物として、高さを足元20m以内に抑えることの大切さを訴えました。少し異様な雰囲気になりました、が、そこで乾杯。

 暫くして、木村社長が近づいてきて、「伊藤さん木造で何10階建てでも建てられるのに、6、7階で抑えることはかっこいいよね」と、私は、うんカッコイイと答えました。

 その後、「大規模木造庁舎の建築について」の基調報告をされた、山口県長門市の大西市長をはじめ10名程の方と名刺の交換をしました。

 莫大な費用と大変な努力の結果に取得した特許、認定工法、これを(一社)日本木造耐火建築協会に加入している企業には使用を認める。これには驚きました。これにより日本の多くの樹木が活かされ、多くの木造の建造物が誕生します。「木造都市」が実現します。

 また、大勢の人たちの「命」が救われます。木村一義社長、男前。

住まいを建てる・4つの柱

新築の相談に来られる方へは、4つのことを提案し、提供します。

1つ目の柱は地震に耐えられる頑丈な構造。

2つ目の柱は安全な空気。

3つ目の柱は電磁波の影響を少なくする。

4つ目の柱は住む人の想い。どう使いたいのか、住む人に想いの図を書いてもらいます。

施工業者は、日頃から生きた木材を扱っている地元の業者を探してください。

業者が見つからない場合はこちらでも探します。

リフォームの際も構造を除けば同じです。

安全な終の棲家・杉板張りの住まいを建てたい

 2017年10月、家を建てることを検討中の方から、愛工房乾燥木材の使用についてと、施工の際は、施工業者を依頼できるのか、とのメールがありました。

 5月に池袋で開催された千島学説研究会に参加され、私の講演を聞いた方でした。

 半年後の2018年4月に電話とメールを頂き来所されたので、簡単な設計図を書いて頂くことを要求、また、使用する木材等の費用は施主へ直に売ります、ただし、それらの材の面倒見ることに掛かる経費は施主が業者へ支払ってください。と。

 施工業者については、できれば地元の業者を連れて来てください。業者がいなければこちらでも探しますから、と。図面の製作にはかなり苦労されたようですが送られて来ました。

 7月、協力して下さる業者と一緒に来所されました。その後の打ち合わせ等において感じたことは、出会うべきして出会ったと思える業者の方でした。

 施主の要望のひとつが、当社の建物と同じ外壁の杉板張りでした。これまでも、杉板張りの要望はありますが、殆どの地域は建築物の規制があって不可能でしたがここは無指定地域で可能でした。外壁の生きた杉板は、呼吸し、周辺へ安全な空気を提供し続けます。

 安全な建材は、作業者の健康も損ないません。安全な職場で安全な建物をつくれます。

 構造はKES構法、構造で使用する木材は全て愛工房乾燥木材、仕上げの床板、天井、腰壁も全て愛工房乾燥杉板材、腰壁から上は、い草の和紙を使用。断熱材は杉のボード。

 電気は電磁波対策の配線設計による施工。室内の照明器具はLEDの器具は使いません。

 年内竣工予定、施主も施工者も、みんなが楽しみにしています。「木造都市の夜明け」です。

 この現場にも、当建物の建設に携わる方への看板を設置します

住まいより、動物たちの命が先

 昨年7月、新築を計画しているご夫妻が来所された折、乾燥野菜や果物を食べていただくと、ご主人の顔色が一変、建物よりこちらを先にしてください

 その方は、佐久平どうぶつ病院の院長で、自ら山へ入り、キノコや草や葉っぱ等採取したものを使って動物たちの治療をしていると言われました、が、問題は乾燥とのことでした。

 食品乾燥機「愛Bee」の設置を希望される方は全国から来ていますが、設置条件はニホンミツバチが棲息し飼われている地域に限定していることから1台も出していません。
 これまでに希望された殆どの方がカメムシ対策として農(毒)薬を使うのでと断念されます。
 カメムシが食べて死ぬ米が1等米です。虫が食べても死なないお米が安全なお米でしょう。
そこで、安全なお米の証明として「カメムシ認証米」を商標登録しました。

 消費者は安全を求めます。生産者からの申し入れがあれば無償で商標の使用を認めます。

 そこにはニホンミツバチも住めます。人も安心して住めます、安心して子育てができます。

 3月26日、「愛Bee」第1号機が稼働開始。動物たちの「命」の助けに貢献します。

 4月9日住まいの打ち合わせの後、「愛Bee」を見学、院長は嬉しそうに種々の成果を披露してくれました。これからが楽しみです。

 この建物の工事を始めるに際して施工会社へ現場に設置する看板の申し入れをしました。

当建物の建設に携わる方へ

安全に留意し、無事故で竣工することを第一に、施工に携わってください。

作業者の健康を損なうネオニコチノイド(農(毒)薬)入りの建材は使用しません。

この建物で使用する木材は全て「国産材」の「無垢材」を使用します。

木の生命を損なわない45℃の木材乾燥装置「愛工房」で乾燥します。

生きた木は作業中も、作業者へ、現場周辺へ、安全な空気を提供します。

生きた木を使った建物は最適な住空間と安全な空気を供給してくれます。

健康と環境に一番大切なもの、それは、きれいな空気・安全な空気です。

タバコの煙は多くの有害物質が含み、空気を汚します。

喫煙は(加熱式タバコも)本人だけでなく、周りの生命も脅かします。

 当建物の建設に携わる方は、建物内及び周辺路上での喫煙は(加熱式たばこを含む)行わないでください。『中ほどに大きな禁煙マーク』

この建物は、アイ・健康と環境を考える会/アイ・ケイ・ケイの協力で、安全・安心の「呼吸住宅R」を、施工に携わる者全員の協力で、施主へお届けします。

有限会社 田中製材工業

『三鷹の現場も施工業者の名入りで設置します』

命を脅かす家から命を護る家に

2017年秋、埼玉県川口市に住む方から一戸建て建物リフォームの依頼がありました。

これより2年程前に、この方が所有する川口市のタワーマンションの1室をリフォームしたいとの相談があって施工業者を紹介しましたが、その時は施工には至りませんでした。

2017年秋、親子の署名入りで、「リフォーム工事の件、一戸建て工事全般に関してお願いします」と書かれたFAXで届いたので直ぐに伺いました。

その建物は、築6年ほどの木造2階建、延床面積25坪程ですが、今どき珍しい伝統構法の建物でした、建築の許可が出るのに1年がかり、建築施工にも1年を費やしたそうです。

石場建て、土壁、木組み、外壁は杉板張り、見学者もあり、ネット上でも紹介されたと聞きました。凝りに凝った建物に引っ越して3年後、90歳になる父親が倒れて不信に思い竣工したばかりの当社へ来て体感、同じ杉の無垢材なのに、その違いに驚いたそうです。

 

知り合いの伝手で地元の工務店を紹介、設計士を伴っての現場説明、杉の断熱材、床板の総張り替え、内壁も杉板で全て覆うことを説明、天井も全て杉板を張ることを説明、すると工務店の会長が「こんな素晴らしい梁を隠すのですか」驚きの声を上げました。

近くにいた施主は「梁より私たちの命が大切です」と大きな声で応答されました。その後打ち合わせを重ねましたが種々の経緯があって別の業者の施工となりました。

当初の業者、次の業者との打ち合わせは寒い時期でしたが、外部以上に寒さを感じる部屋での打ち合わせには参りました、無垢の杉床板につけた足が吊るのです。無垢の柱に手を当てると体温が返ってこない、むしろ体温が奪われるような珍しい感触でした。

着工前の2018年3月、船瀬俊介氏にこの建物を体感してもらうことに、すると部屋に入って直ぐ右の脳に響くとわずか数分で建物から退散しました。

依頼者の親子は2018年の暮れ、全ての家具も愛工房で乾燥した杉を使った住まいに引っ越しを終えたて喜んでいただきました。その住まいを2月5日、船瀬氏に体感してもらいました。施工前とは全く違う体感に驚き、写真を撮りまくっていました。

人が、一日に食べる食事の重量が約2㎏とすると、その10倍以上もの重量の空気を体内に毎日取り入れています。食べ物は胃や腸を経て各所へ周るが、空気は即座に、脳に肺に身体中へ周ります。食べ物も大切、だけど、空気はもっと大切なのです。

住まいの空気で赤ちゃんから年寄りまで、そこに住む人の、幸・不幸・人生が変わります。

伝統構法で建てた建物、施工業者は人が住むことを忘れていたのではと、思いました。

ハウスメーカーには違約金を支払い

 2017年8月、東京在住の娘(長女)さんからのメールです。

 茨城県に住む1人暮らしの83歳の母が元気なうちに家を建てることになりました。

 大手の建築会社に依頼しているが、今1つ納得できないでいたとき、『木・呼吸・微生物・超先進文明の創造』の本に出会い、納得、感動しました。と。

 電話で相談を受けた1ヶ月後のメールでは、茨城へ行って母と兄弟に愛工房の話しをしてきました。結果は大手ハウスメーカーとの契約は、違約金を支払い、なしということになりました。と。

 その後、杉浴に親子で参加され、ハウスメーカーの進め方に納得せず、契約の破棄を主張した、元気で自他ともに認める頑固なお母さんと私は意気投合しました。

 新築の話しが進んでいた年の瀬、母が倒れて入院したとの知らせを受け話は白紙に。

 年が明けて退院し地元で一人暮らしをしている次女の家で暮らすことになったとの電話がありました。

 それを聞いた私は、お母さんは何かを持っています、今回の病気は不幸への入口でないと思う。新築の家に1人で暮らすよりも、むしろ、良い方向に向かうと思います。と。

 退院したお母さんは、一階の1部屋で生活することになり、その後、庭に面した別の部屋をリフォームすることが決まり、親戚付き合いをしている地元の建設会社の社長とお姉さんが来所され、安全、安心の部屋づくりとなりました。

 床、壁、天井の全てを杉板張り、断熱材も杉のボード、建具も杉とい草和紙、それに杉黒芯のベッド、部屋が完成するまで別の部屋で起居していたお母さん、出来上がった部屋での生活に、これまでとは全く違うことを感じていると聞きました。

 身体が緩む、暖房を殆ど使わなくても温かいと感心されていたそうです。

 たまに東京から泊りに行くお姉さんは、本人も熟睡できるがお母さんの静かな寝息に驚いたそうです、別の部屋で一緒のときは寝息が心配で怖かったそうです。

 部屋の空気でこんなに変わるのですねと、体感し、感激したと言われました。

 暖房費が安いのにも驚いたと、3月の杉浴に参加した際、みんなに話していました。

杉に囲まれた教室

 2019年6月15日の朝日新聞に、「杉はもう悪者じゃない」、「調湿、大気洗浄化、リラックス効果」の大見出しが出ていました。

 内容の見出しは、「がん細胞の増殖抑える可能性」「発達障害の児童落ち着いて勉強」とあり、杉を使った効果が具体的に書かれていて、なかなかの内容です。

 以前発表された、九州大学の報告では、天然の国産スギの家と、合板など新建材の家との比較実験では、天然杉材は脳の疲労が急速に回復とあり。

 スチールや合板製の椅子や机で勉強するより、杉材を使った椅子や机で勉強する方が、生体を守る免疫が活発になることが、中学生を対象とした実験で分かった。とあります。

  2018年5月、前年に他界されたご両親が50年前に建てたコンクリート2階建て内部のリフォーム相談に来られました。先方の整理がついた8月に具体的な構想としで、娘さんの英会話教室に使いたいとのこと。建物の現状図面とどのように改装したいかを書いていただき、9月に下見、その後、諸々の打ち合わせを経て今年1月に着工しました。

 教室をオープンするにあたっての娘さんの一文です。

 Gem’s Study(仮名称)では床や壁、天井に愛工房で乾燥した杉を使っています。この杉を使った部屋は、空気を浄化し、保温・調湿効果があって、冬暖かく、夏は涼しい理想的な部屋になると聞いています。防かび剤、防虫剤など化学薬品、身体に害のある物質は使っていません。まるで、森林浴の中での英会話を学んでいただきます。

 Gem’s StudyとはGem(ジェム)の書斎・勉強部屋と言う意味です。お友達の部屋に遊びに来た感覚で、楽しみながら英会話を学べるような教室を目指します。リラックスした雰囲気の中でもしっかりと身につく、少人数の英会話教室です。

 講師(私)の紹介をいたします。カリフォルニア州Pitzer大学で言語学と心理学を二重専攻、英会話学校の教務主任を経験、イギリスのケンブリッジ大学が認定する国際英語教授法の資格を得ました。初級者には全て英語ではなく、日本語を交えます。英語のみの説明では、分からない個所が分からないまま進んでしまいます、それを防ぐ為に基本は英語で難しいところは日本語で丁寧に教えます。 開校予定は4月中旬です。と。

 3月30日、住宅の1階、見違えるようになった「愛工房杉」の教室が完成しました。

 昨秋、庭の一本の柿の木に千個の柿が実って大量に頂き、「愛Bee」で乾燥しました。

 遺した建物を孫が活かす。長年家主と命を共にした柿の木、祝福の実りだったのでしょう。

 

湘南に、新しい風を

 私の著書、「樹と人に無駄な年輪はなかった」(三五館2012年発刊)と「木造都市の夜明け」(三五館2017年発刊)の中で、七田チャイルドアカデミー(当時)池袋教室を紹介しました。代表の市原美歌さんと出会ったのは、2010年の頃でした。

 2019年3月、鎌倉教室開校への思いを込めたメールが市原さんから届けられました。

 今度の鎌倉教室では、伝統ある鎌倉で、子供たちの心と体と知能を育むモデル教室として、本物の良さ、素晴らしさを体感できる教室になることを楽しみにしています。

 伊藤社長に出会って、こんな頑固な親父がまだいたんだ(良い意味で)と、嬉しくなったのを思い出します。木も人もみな同じ。良いものは手をかけて育てる。そんな当たり前の事を、忘れかけていた自分に気が付きました。伊藤社長の言われることは当たり前の事ばかり。だから心に響きます。残ります。

 2009年4月に、七田先生と濤川先生、二人の師をなくしました。前年の離婚も重なってとても落ち込んでいた私にとって、伊藤社長との出会いはとても貴重な出会いでした。

 本当のことを教えてくれる。それも、理論理屈ではなく、杉という一本の木を通して語られるいろいろの話しは、心にしみるものでした。

 池袋教室を杉張りにしたことで、他の教室との居心地の違いなど、感じるものがたくさんございます。ビルに入った途端、木の香りがする、とよく言われます。

 子どもたちは何も言わないのに、裸足になってペタペタと歩き回ります。木の感触が心地よいのでしょう。他の教室と比べると、赤ちゃんのぐずりが少ないのを感じます。スタッフたちも、(私を含め)池袋教室は疲れにくいようです。

 池袋に教室をオープンする際に、池袋という人が多く集まるからこそ、お母さまとお子様が、おやこで、ホットできる空間、そう、オアシスのような場所をつくりたかった。愛工房のおかげで、その夢がかないました。教場の雰囲気がいいので、気功教室としても時々、場所を提供しています。また、外部講師の先生が来ると、教室の空気感がとてもいいのでびっくりされます。最近の子供たちは、小さい頃から忙しく、週に6回も習い事がある子もめずらしくありません。また、親御さんも経済的な余裕があっても、気持ちの余裕が足りなくなってしまっている方が増えています。そんな中、本物の木に触れて、こころとからだを和ませることのできる空間は本当にありがたいです。

 時々、教室の子どもたちを連れて、愛工房沐浴にうかがわせていただいています。

 びっくりするのは、0歳の子どもほど、ぐずりもせず、汗をかきながら、気持ちよさそ~うにしていることです ! 。私が「あ ! この中は子宮の環境とそっくりなんですね。だから気持ちいいんですね。」というと、伊藤社長が「なにいってるの、市原さん、今頃気が付いたの?遅いよ」と、笑われました。

 さらに発展させて、他の教室も、そして自宅もオール愛工房住空間にするのが私の次の夢です。

 次のステップの鎌倉。鎌倉では木造の住宅やこだわりの住宅を作っている方も多い土地柄です。本物志向の土地柄だからこそ、さてさて、そこで、この奇跡の木材たちがどんな評価をうけるのか。きっと、この本物の良さがわかってもらえることでしょう。とても、楽しみにしています。   以上が、2019年3月に届いたメールです。

 2019年1月現在の生徒数は、池袋教室230名、大塚教室157名、田端教室102名、合計約500名とのことです。

鎌倉教室を起点として、湘南各地に本物の七田式教室を、これが私の夢です。

 市原美歌さんとの出会いは、2010年、この頃、志村三丁目の愛工房で行われていた杉浴、そこで内藤誠一氏(矢山気功の一番弟子)が主催する体験会に参加されたことでした。

 市原さんは七田チャイルドアカデミー(当時)大塚教室(生徒数80名)の経営者で、初めての体感に、体の軽さ、肌の艶感に感動、椅子や丸太の椅子、まな板や箸やお盆を購入した市原さん、すっかり愛工房の杉フアンになりました。

 2012年の年が明け、池袋教室開校の相談があり、床、腰壁に杉板を使い、ビニールクロスを使用しない教室が開校しました。1年間で30名程、翌年には50名ほどになるが苦戦の連続だったそうです。2014年の末には90名、2015年には120名となり、秋には本部から成果発表の依頼があり、関東講師研究会で、「奇跡の杉教室」として発表、その後は順調に伸びて2016年には140名に。この年、2階が空くからと大家さんから入居の打診を受け、それまでの6階の1フロアーから2フロアーを使用することに。

 6階の内装建材も呼吸建材を使用。2017年に田端教室(当時55名)を買い取り。池袋教室は200名に。大塚教室も順調に発展していると聞いていました。

 これまでの大変な苦労と努力の実が結び、さぞ満足して、ゆっくりすることと思っていました。ところが大間違いでした、昨年の秋、鎌倉に教室を出すとの電話には驚きました。

 いざ鎌倉ですね、と言い、私たちも楽しませて頂くことになりました。幸いなことにこの方面には以前からお世話になっている信頼できる建具屋さんがいます。その方の紹介で、創業明治30年の建築会社を紹介して頂き素晴らしい教室が2月末に完成しました。

 湘南に夢が広がる七田式鎌倉教室の誕生です。

小郡森の幼稚園

 4月2日、熊本県山鹿市の(株)ゆうき で稼働中の「愛工房」前に、施主の片山園長ご一家、設計士、製材業者、工務店、乾燥協力会社、私たちが集まりました。

 園舎に使用するために、3月30日から、165㎜角4mが63本入っている「愛工房」の中で皆さん汗を出していました。

 この先数か月は、(株)ゆうき と(有)オイコスに設置する「愛工房」はフル稼働となります。

 設計士の方が素晴らしい完成予想の模型を持参、披露されたので写真に収めました。

 事の始まりは2017年5月、私が千島学説研究会東京セミナーで講演、そこで、幼稚園建築を計画中の片山園長と運命の出会いがありました。

 2ヶ月後丁寧なメールが届きました。

 幼稚園の新園舎を建築する計画があって、愛工房さんの本物の杉材を使用された建物がずっと想いの中にあります。私は園長ですが外観からだけでも見学できるよう上京を計画してまいりました。ぜひ触れて感じて、五感で生きる幼児のための家づくりを進めるための参考にしたいと思っています。
 急なことでありますが、7月21日の15時以降に寄ることができればという予定です。
 伊藤社長とは、5月に行われました千島学説セミナーで名刺交換させていただきごく簡単なお話だけさせていただきましたが、講演内容に感動しました。
 と、記されていました。当日は教頭をされている奥様もお見えになりました。

 8月には園の職員の方々と設計士、合計8名で来訪されました。来訪の主旨として園長は、
今度の私どもの事業には先導的木造のあり方を訴えてゆくねらいがございます。と。

 年が明け、世論時報社の取材についてお知らせすると、メールが届きました。

 今年は、重い岩戸がひらかれてゆく年になるような感じもします。イノシシの鼻の力もあるかもしれません。「森林大国の可能性」という響きにワクワク感がしてきます。

 私も鎮守の森のような植樹を街中で行いたいとずっと思ってきて、園舎で育ててきた苗木をようやく土地におろせる機会がやってきたのが、今回の園移転・園舎建築です。

 これまでの学校施設のカタチを打ち破るようなものになるかもしれません。

 人間形成の幼児期までに五感で学び入れてほしい家の空間体験と、子どもらしい外遊びへ向かわせてくれる建築をカタチつくってゆきたいと思っています。
 その打ち合わせ資料を含め添付致します。
 伊藤さんへいろいろご相談させていただいてもよろしいでしょうか。
 愛工房さんから新たな世へ明るい発信ができますよう祈念いたします。と。

 添付された図面は敷地約3千坪、自然環境をふんだんに活かした全体計画、建物の全てが平屋建ての園舎と事務室15棟ほどが配置され。ここで子どもたちが、遊び、学ぶ、夢をみるような気持ちで、見ている私がワクワクします。

 必要な原木材3000本余り、約500立方メートルを使用する内容となっています。

 先日届いた、卒園記念誌「里山の子ども」。70名のいきいきとした子どもたちの笑顔、見ているだけで言葉は要りません。

 子どもたちにとっては、これからの生きていく財産、励みになることを疑いません。

 片山園長のブログに大人自身が画面を見る生活でなく、地面を見、観察力や感性を鍛え、と、これ、現代の名言です。

 4月11日、山口県の(有)オイコスさんへ「愛工房」設置の打ち合わせに伺いました。

 ここで幼稚園に使用する木材から始まり、多くの人の「命」に貢献する生きた木材が生まれます。健康住宅宣言の(有)オイコス安田社長、大いに期待しています。

 打ち合わせを終え小郡幼稚園へ、素晴らしい遊びの場と畑を見学した後、直ぐ近くに造成中の建築現場へ案内していただきました。

 小郡の街を一望する素晴らしい景観、後方に山、山の口の場所に立って感動しました。

 地元の木材を使って、生命の乾燥、「命を育む幼稚園」がここに誕生します。

 2020年4月開園予定、全力で応援します。

 追記 88日午前、「命を育む幼稚園」建設の地鎮祭が執り行われました。

 88日午後、()オイコスの作業所に中国地方で初の「愛工房」が産声を上げました。

 

 4月2日、熊本県山鹿市の(株)ゆうき で稼働中の「愛工房」前に、施主の片山園長ご一家、設計士、製材業者、工務店、乾燥協力会社、私たちが集まりました。

 園舎に使用するために、3月30日から、165㎜角4mが63本入っている「愛工房」の中で皆さん汗を出していました。

 この先数か月は、(株)ゆうき と(有)オイコスに設置する「愛工房」はフル稼働となります。

 設計士の方が素晴らしい完成予想の模型を持参、披露されたので写真に収めました。

 事の始まりは2017年5月、私が千島学説研究会東京セミナーで講演、そこで、幼稚園建築を計画中の片山園長と運命の出会いがありました。

 2ヶ月後丁寧なメールが届きました。

 幼稚園の新園舎を建築する計画があって、愛工房さんの本物の杉材を使用された建物がずっと想いの中にあります。私は園長ですが外観からだけでも見学できるよう上京を計画してまいりました。ぜひ触れて感じて、五感で生きる幼児のための家づくりを進めるための参考にしたいと思っています。
 急なことでありますが、7月21日の15時以降に寄ることができればという予定です。
 伊藤社長とは、5月に行われました千島学説セミナーで名刺交換させていただきごく簡単なお話だけさせていただきましたが、講演内容に感動しました。
 と、記されていました。当日は教頭をされている奥様もお見えになりました。

 8月には園の職員の方々と設計士、合計8名で来訪されました。来訪の主旨として園長は、
今度の私どもの事業には先導的木造のあり方を訴えてゆくねらいがございます。と。

 年が明け、世論時報社の取材についてお知らせすると、メールが届きました。

 今年は、重い岩戸がひらかれてゆく年になるような感じもします。イノシシの鼻の力もあるかもしれません。「森林大国の可能性」という響きにワクワク感がしてきます。

 私も鎮守の森のような植樹を街中で行いたいとずっと思ってきて、園舎で育ててきた苗木をようやく土地におろせる機会がやってきたのが、今回の園移転・園舎建築です。

 これまでの学校施設のカタチを打ち破るようなものになるかもしれません。

 人間形成の幼児期までに五感で学び入れてほしい家の空間体験と、子どもらしい外遊びへ向かわせてくれる建築をカタチつくってゆきたいと思っています。
 その打ち合わせ資料を含め添付致します。
 伊藤さんへいろいろご相談させていただいてもよろしいでしょうか。
 愛工房さんから新たな世へ明るい発信ができますよう祈念いたします。と。

 添付された図面は敷地約3千坪、自然環境をふんだんに活かした全体計画、建物の全てが平屋建ての園舎と事務室15棟ほどが配置され。ここで子どもたちが、遊び、学ぶ、夢をみるような気持ちで、見ている私がワクワクします。

 必要な原木材3000本余り、約500立方メートルを使用する内容となっています。

 先日届いた、卒園記念誌「里山の子ども」。70名のいきいきとした子どもたちの笑顔、見ているだけで言葉は要りません。

 子どもたちにとっては、これからの生きていく財産、励みになることを疑いません。

 片山園長のブログに大人自身が画面を見る生活でなく、地面を見、観察力や感性を鍛え、と、これ、現代の名言です。

 4月11日、山口県の(有)オイコスさんへ「愛工房」設置の打ち合わせに伺いました。

 ここで幼稚園に使用する木材から始まり、多くの人の「命」に貢献する生きた木材が生まれます。健康住宅宣言の(有)オイコス安田社長、大いに期待しています。

 打ち合わせを終え小郡幼稚園へ、素晴らしい遊びの場と畑を見学した後、直ぐ近くに造成中の建築現場へ案内していただきました。

 小郡の街を一望する素晴らしい景観、後方に山、山の口の場所に立って感動しました。

 地元の木材を使って、生命の乾燥、「命を育む幼稚園」がここに誕生します。

 2020年4月開園予定、全力で応援します。

 追記 88日午前、「命を育む幼稚園」建設の地鎮祭が執り行われました。

 88日午後、()オイコスの作業所に中国地方で初の「愛工房」が産声を上げました。

 

 

これから始まる、『木花(このはな)診療所』

兵庫県明石市に脳外科・てんかん専門の診療所を計画中の、医師が4月来所されました。

全て「愛工房」で乾燥した無垢材を使った「呼吸住宅」。訪れる人たちの心と身体を癒す場をつくることに熱意と情熱を感じる54歳の先生でした。電磁波の害の少ない電気配線を施した診療所づくり。これを託されました。

 追記 8月21日建設予定の現場へ伺いました。駅前で、明石大橋を間近に眺め、海水浴場が眼下広がる、素晴らしい場所です。96日、設計事務所で設計契約に立ち会いました。KES構法で地震・台風に耐える木骨ビル。

 この地にも、ほんものの、「木造都市の夜明け」が、はじまります。

杉の木に恥じない生き方を

 6月25日、1年半ほど前から続いていた裁判の判決が出ました。

 被告は原告が要求する全額を支払えとの判決です。私は当然のことと受け止めました。

 原告の有限会社田中製材工業は、被告の日本強靭化木材株式会社より大型施設の内外装木材を約1千万円で受注する。全ての納品が終わっているのに入金は百数十万円、8百万円以上が未収状態。残金の支払いを再三要求するが払ってくれない、そこで訴えた。

 原告は、納入先の現場責任者から、被告との契約額は全額支払い済みであること、追加の代金も支払う予定であることを文書でいただいている。

 それにも拘わらず、支払わない理由を被告が法廷で述べる、その理不尽な理由に驚いて、つい、「これでは物を作る人がいなくなる」とつぶやいた。つぶやいた声が大きかったのか裁判官から注意を受けた私。2月19日東京地裁で裁判を傍聴した際の出来事です。

 被告は今回の訴訟問題に関して、弁護士に依頼せず本人が対処しています。これは、本人訴訟の場合、法律的に整理されていない意味不明の主張をして、裁判を混乱させ、長引かせるためではないかと推測されます。また、弁護士に依頼すると、裁判が長引けば弁護士費用が嵩むと考えたからではないかと思います

 私は、16歳の時、32歳のマチヤさんのひと言で人生が変わりました。「君には若さという財産がある、私が君ほど若かったら、大阪で丁稚修行して、その経験を東京で活かす」このひと言で帰りの汽車賃もない身で熊本を飛出しました。偶然の積み重ねで幸いにも靴下問屋の丁稚になり、老社長から教わる事の毎日でした。2年目に仕入れの担当になった際には、「靴下を作る人たちがいるから商いができる、仕入れてやるというのでなく、靴下を売らせてもらう気持ちを持つように」と教わりました。休日を利用して数か所の工場を見学しました。夏の暑い頃、下着姿に近い格好で汗まみれになって働いている女工さんたちには頭が下がりました。クーラーのない時代です。この時の感謝の気持ちは私の財産です。

 私は現在の仕事では「もの」を仕入れたら直ぐに支払うことにしています。状況によっては先方の出荷前に支払うこともあります、扱っている「もの」たちは、すでに数10年も風雨に耐えて育った命です。山に早くお金を返すことは当然のことです。

 このことは、お客様にも説明し、協力していただいています。

 被告会社の代表者は伊藤隼夫氏です。同姓の彼との縁は2003年6月、豊橋のマルナカ

 ウッド会長(当時)中野武治氏の紹介でした。2005年1月に袂を分かつまでの経緯は2012年5月発刊の拙著「樹と人に無駄な年輪はなかった」の中に詳しく書きました。

 被告が幾度も使う「基本合意書」と言う言葉、思い起こすのは2005年1月13日に東京ドームで被告の隼夫氏との話し合いの場で提示された、低コスト木材乾燥室の「基本合意書」。「これにハンをつくことは貴方の為だから、貴方が楽になる」と言われました。が、よく読むと私の為になる事は全く書いてありません。その後の対応は弁護士にお任せしました。この日から隼夫氏との接触はありません。

 当日の傍聴席には隼夫氏との間で困った関係になった人たちも数名見えていました。

 当日、驚いたのは、原告の弁護士から特許権として800万円が計上されているが、検索をしたところ、特許を有してはいなそうですが、これはいったい何ですか、の問いに、隼夫氏は、「それは検索の仕方が悪いからです」と答えた。

 私が検索した結果では、隼夫氏は特許申請した20件中弁理士に依頼したのは1件のみです。

 審査請求したのもこの1件だけ、が、それも拒絶査定されています。

 特許庁は、様式が整っていれば受け付けます。しかし、申請しただけでは審査はしません。3年以内に審査請求をしなければ、申請は取下げたものとみなされます。したがって、特許申請中ではなくなります。

 私は、特許を申請することは特許取得が目的だと思っていました。

 隼夫氏にとっては、特許申請中であることだけに意味があったのでしょうか

 特許庁に支払う金額は、申請に必要な費用は10,00020,000円。

 審査請求をする際の費用は100,000150,00000円。

 特許庁のホームページで、特許に関しては誰でも見ることができます

 隼夫氏の木材乾燥に関わる特許申請は7件あります。が、全て審査請求をしていません。

2004年4月低コストの木材乾燥室

2004年11月 低温除湿乾燥と遠赤外線乾燥の両機能を持った木材乾燥装置

2007年10月細胞膜の水移動機能を応用した木材乾燥機

2008年7月熱エネルギーを使用しないでCO2排出ゼロの木材乾燥方法

2009年5月遠赤外線と超遠赤外線を同時に放射させる木材用乾燥機

2010年7月低炭素木材用乾燥機

2012年4月ハイブリッド型バイオ乾燥機

 木製の木材乾燥装置は、私の想いを込めて2004年の春から製作、夏に完成しました。扉以外は全て国産の杉、桧、松の無垢材、構造はKES構法、乾燥庫がシェルターになります。

 この装置に「愛工房」と命名し2004年7月商標登録を申請。テレビでも紹介され世間に知られることとなりました。すると、「愛工房」は自分が開発した、伊藤好則は技術を盗んだ、真似をした、と、隼夫氏から聞いたと複数の人から聞きました。

 愛工房がもうすぐ設置されます、とホームページに表した福岡県の家具屋もいました。

 私は2005年5月「低温乾燥装置及びパネル体並びにパネル体の組み立て方法」を申請、

 20098月に特許登録されました。

 隼夫氏が2004年4月に特許を申請した「低コストの木材乾燥室」の書類が、特許庁からその年の6月、返却されて来ました。私の名前も明記、押印された書類です。

 返却の理由は押印の間違いです、私の印鑑は既に特許庁に登録済みでした。

 私の名前の所への押印は適当な「伊藤」の印鑑を使っていたのです。

 この時、隼夫氏が木材乾燥装置の特許を申請していたことを、知りました。

  私は、ある寄稿で、人生で一番の贅沢は、健康で長生きすることです。と書きました。

 まずは、心も身体もストレスのないこと。それには、「三つのない」が必要だと書きました。

 「嘘をつかない」「騙さない」「裏切らない」のこの三つ、それに快適な睡眠と笑うこと、これが人生で一番の贅沢を与えてくれます。と。また、年をとってからも働ける人と、働けない人、どちらが幸せかを問いました。働ける身体であること、働く場があること、自分ができる事、やれることをして「はたらく」ことは、周りの人たちへの負担を少なくし、傍を楽にするので、年をとってから「はたらく」ことは、「傍楽」。と、書きました。

 年配になっての「はたらき」は、これまでの、知識、知恵、経験という財産を活かせます。

 私は、今日産まれてくる子どもたちのために、今、何をなすべきか、何をしてあげられるか、これは私たち大人の「権利」だと思っています。子どもを授からなかった私にとっては、子どもたちのことを、考え、心配することは「権利」だと受け止めています。

 この10年余りにおいて、「愛工房」の導入を検討されている方を中心に大勢の方との出会いがありました。設置することで仕事だけてはなく環境にも良くなることを願って対応します、そのことが誤解も生じます。導入できず自分の思惑通りにならない人が、そのことを他所のせいにして批判、不思議なことに、そんな人同士がつながることもありました。

 一番危険な人とつながった例もあり、中にはその後、消滅した企業もあります。

 そのようなとき私は、まっすぐに伸びる杉の大木になれればと思うことがあります、同じ年輪の杉の木なら20年、30年、100年先までの、今からを見る事が可能なのではと。

日本は発達障害大国 その原因は

 小中学生15人に1人、大人は10人に1人・日本は世界トップクラスの発達障害大国

 脳の障害による病気、不可解な行動・犯罪・事故・年齢を問わず全ての人たちが被害者に

  20154に環境脳神経科学情報センター代表黒田洋一郎氏のインタビュー記事では、農薬大国・日本の現実、ネオニコチノイド系農薬で、発達障害が急増する。とあります。

 近年、EUで、ミツバチの大量死の原因として、使用が禁止された農薬がある、それがネオニコチノイド系農薬、この農薬がミツバチだけでなく、人体に対しても影響を及ぼす、特に発達障害の原因となる説を提唱している。と紹介、読み応えのある内容です。

 20171221、日本弁護士連合会では会合を開き、農林水産大臣に「ネオニコチノイド系農薬の使用禁止に関する意見書」を提出。以下は 意見の趣旨と理由の一部です。

第1、意見の趣旨、の文中のひとつに、斑点米カメムシ類について、植物防疫法施行規則の改正により指定有害動植物(植物防疫法22)としての指定を解除すること。と、あります。

第2、意見の理由、の文中のひとつに、ネオニコチノイド系農薬は選択毒性が高く、しばしば「昆虫には強毒性、ヒトには弱毒性」といわれるが、これは正しくないとの重要な指摘がある。神経伝達物質アセチルコリンは、ヒトでは自律神経、末梢神経に多いが、そればかりでなく、記憶や学習、情動など中枢神経でも重要な働きをしていることが知られており、さらに。近年、免疫系や脳の発達にも重要な働きをしていることが分かってきている。

 このため、ネオニコチノイド系農薬のヒトの健康への影響、とりわけ成長過程にある子どもの脳の発達への影響が懸念されている。と、あります。

  2019221、衆議院第一議員会館B1大会議室で、市民のための生活環境病対策緊急セミナーが開催された。「発達障害が10人にひとり、がん患者が2人にひとり、今なにが起きているのか?その原因は」講師の1人、環境脳神経科学情報センター副代表の木村―黒田純子先生は「農薬(ネオニコチノイドなど)と発達障害との関係」を講演されました。

 農薬は農毒薬の略語なり、人間ぼちぼち、虫ころり。この言葉は、熊本県の菊池養生園の竹熊園長(当時)から20年ほど前に聞いた言葉です。この年の養生園まつりに船瀬俊介氏が招待されて講演、その日私たちは元病室に宿泊しました。

 その後、キトサンが縁で出口昭弘先生(楽らく多収稲作革命の著者)と出会い、農薬を使わない稲作の指導や講演で九州各地を周りました。農薬のない頃、水を入れたバケツに、タバコの吸い殻を入れてかき回し、その液で田圃や畑の虫を殺していたと聞きました。

 ネオニコチノイドはニコチン類似構造をもつ強力な殺虫剤です。

 今、日本では虫が激減しています。虫の死骸は5~6年で土の養分キトサンとなり、農作物を始め川や海の魚まであらゆる生きものたち、人も含めた「命」の源が「虫たち」です。

 虫がいなくなれば、全てのいきものもいなくなります。日本はどこを目指すのですか。

 ネオニコチノイドは農業だけでなく、合板を始め多くの建材にも使われています。

 当初は抑えられていた毒性が、抑えていた素材の劣化で危険な空気の住空間となります。

 ビニールクロスや新建材等は健康を損なう化学物質を放出、静電気によりホコリを呼び、その空気を人が吸います。どんな空気を吸うかで、「脳」が「身体」が、人生が変わります。

 無垢材の長所は呼吸しています。「愛工房」の45℃で乾燥した芯材は酵素が生きています。シロアリに食われません。そこで「シロアリ嫌証木材」として商標登録しました。

 杉の最大の長所は人の体温を奪わない。接触すると身体が緩む、床材には最適です。

 私が関与する建物の室内照明にLEDは極力使いません。信号機の虫対策が始まりと聞いています。虫は命が危ないと避けます。殺虫機能がついたLED照明も出現しました。

 LED照明を「今世紀最大の公害」と警鐘を鳴らしている資料もあります。照明器具の各メーカーが一斉に、電球・蛍光灯の生産を止めてLEDのみの生産、これ、何か異常です。

 あるメーカーの担当者にLED照明はこの先、人の命に影響が出ないと断言できますか、
 と問うと、できてまだ10年ですから絶対にないとは言えません。と、正直な方でした。

 虫が死ぬLED照明、経済優先、効率優先で「命」のことは?「省エネ・省イノチ」ですか。

 

大阪千日デパート火災 大災害の原因、なぜ、こうなるのですか

5月31日は世界禁煙デー。自分の原点を見直してみました。

 47年前の1972年5月13日、この日、デパート火災で118名の尊い命が奪われました。
 火災の原因が電気工事会社社員のタバコの火の不始末と知り大変なショックでした。当時、電気工事業で独立3年目、必死の思いで断煙、これが健康環境問題に取り組む原点となりました。当時、火災の原因は全ての情報機関で、タバコの火の不始末と報道していました。

 先日、フリー百科事典『ウィキペディア』を見て驚きました。火災に関する記事は何処よりも多く書かれているのに「タバコの火」については全く見当たりません。

 終わりの方に記されていた火災の原因を読んで目を疑いました。愕然としました。

 大阪府捜査一課および南署捜査本部によって燃焼実験がおこなわれた。その結果、513日夜にビル3階で電気工事をおこなっていた工事監督が現場に捨てたマッチの擦り軸が火災の原因であると断定した。と、書かれています。そのまま受け取れば放火でしょう。118名もの命を奪った犯人の名前、その逮捕、その処罰等については全く見当たりません。

 健康や環境を犯した原因がタバコ(ニコチン)であった場合、何処への配慮ですか。

 ネオニコチノイドに関してメディアが取り上げないのは、ニコチンに辿り着くからですか。

 タバコ会社の大株主として、国が経営に参画しているのは、世界中で、「日本だけ」です。


 もの、物事を決める基準を、今と将来の「命」に良いか、悪いかで決める「令和時代」に。

“「経済優先」から「命優先」へ”舵を切れるのは、消費者、「私たち」です。