世論時報3月号について

30年前の1991年、電気工事の会社で全社員(20名弱)非喫煙の会社が実現しました。アイ・ケイ・ケイの前身、「アイ健康と環境を考える会」を発足したのはこの3年前です。

求人の為に訪問する高校以外の高校や中学からも喫煙問題の講演依頼が多くなりました。私は、一人ひとりが選ばれた「命」であること、全ての「命」の大切さを訴えました。

1996年、キトサンと出会いました。キトサンのこと、それにその後の数年間の出来事を紹介した本が2003年に出版。船瀬俊介著「大地の免疫力キトサン」(農文協)です。この年(1996年)、キトサンを活用した農薬不使用の農業講習会で、講師をされていた「楽らく多収稲作革命」(あいぜん出版)の著者、出口昭弘先生と運命の出会いがありました。
その頃、九州各地で耳にしていたのが福を食い荒らす「ジャンボタニシ」の被害、稲作農家の敵、どうすれば「ジャンボタニシ」を効率よく殺せるかという相談もありました。出口先生の講演を聞いて、この「植干法」ならジャンボタニシを殺さずに活かせる、稲にも良いのではと直感、出口先生と主催者にお願いして九州各地で勉強会を開催しました。
除草剤、農(毒)薬を使用しない、「ジャンボタニシを生かして、活かす」農業を広めました。実行された農家は予想以上の成果で、「殺す」より「生かす」ことの大切さを実感しました。現地指導の際、先生は必ず「稲に開いたか」と皆に問います。この言葉は私の「たから」となりました。木材乾燥装置を開発した際、「杉」に開いて、45℃に迫り着きました。

私の父の先祖は熊本の八代、い草の産地、ここで50人を超える自殺者が出ていると聞き、船瀬俊介氏を団長として出口先生、農業高校の元校長と私、4人で「八代イグサ応援団」を結成。ある農家はキトサンとジャンボタニシを活かした無農薬のい草栽培に成功しました。

私は、無農薬のい草畳表として相当量を販売、あるお寺さんには200枚ほどを納めました。これらの一部は、2002 年船瀬俊介著「よみがえれ!イグサ」(築地書館)で紹介されました。1997年熊本の農業高校に畜産用キトサンを提供、畜産科学科で一番の問題である乳牛の乳房炎」の治療に抗生物質を使用せずに7頭全てが治癒。他に抗生物質を使っても治らなく廃牛を検討していた2頭も治癒。この成果については、『畜産コンサルタント』(中央畜産会)の 1998年 10月号に「乳房炎の治療に『キトサン』が効果的」で詳しく掲載されました。

3月号記事のAさんとの出来事は、キトサン関連を仕事にするかを模索中に起きました。現在の日本は世界トップクラスの発達障害大国です。原因の一つが、生活空間の空気です。虫たちの脳を狂わすネオニコチノイド系農(毒)薬、建材にはかなり多く使用されています。

これらは、経済優先、効率優先の産物です、国民みんなが犠牲者です。「きづき」ましょう。

「世論時報」4月号から毎月、身近な方が体験した、想いを込めたレポートが掲載されます。資材を供給している現役の方が気づいてからの苦悩を赤裸々に。ご購読をお勧めします。